(1906年12月15日 東京朝日新聞)
乃木希典大将は昨日午前11時、軍旗授与式に参列するため、騎馬で宮中に参内した。式を終えて退出する際、坂下御門内の車寄せで馬に乗ろうとし、右足をすでに鐙(あぶみ)に掛けた瞬間、ちょうど前方から走って来た馬車に馬が強く驚いた。
そのため、大将の右足は鐙から外れ、拍車だけが引っかかった状態となり、身体は斜めに地面へ投げ出されて落馬した。右まぶたの上に約1寸5分(約4.5センチ)ほどの軽い傷を負い、さらに後頭部と臀部を強く打った。
大将はひとまず近衛師団司令部に入り、大島大将と面会し、椅子にもたれて落馬の経緯を語り終えたが、ほどなくして唇の血色が急に失われ、今にも倒れそうな状態となった。これを見た大島大将は、直ちに軍医を呼び寄せた。
軍医が到着し一礼して事故の様子を尋ねた際には、大将はすでに眠るように昏睡しており、話すことができなかったため、大島大将が代わって事情を説明し、治療に当たらせた。その結果、落馬による脳震盪を起こしていることが判明した。
軍医の手当てによって意識を取り戻し、司令部軍医部で静養した後、容体はやや回復した。大将自身の希望により、午後4時、担架で自邸へ帰った。
田中宮内大臣は直ちに司令部を訪れて容体を見舞い、その状況を天皇に奏上した。
この記事は、日露戦争の英雄・乃木希典が負傷したという一大ニュースを伝えるもので、当時の社会的反響の大きさを理解するうえで重要な記事です。
◾️ 乃木希典の国民的地位
1906年当時の乃木希典は、
- 旅順攻囲戦を指揮した日露戦争の象徴的存在
- 皇室への忠誠と質実剛健な人格で知られる
- 軍人のみならず国民的尊敬を集める人物
でした。そのため、乃木大将の負傷は国家的関心事として報じられました。
◾️ 軍旗授与式という場
事故が起きたのは、
- 天皇親授の軍旗授与式
- 皇居内(坂下御門)
という、きわめて格式の高い場です。
そのため、単なる私的事故ではなく、宮中行事に関連した重大事案として扱われています。
◾️ 「重態」と報じられた理由
実際の負傷は致命的ではありませんでしたが、
- 高齢(当時57歳)
- 後頭部を強打
- 一時的な昏睡状態
という点から、新聞は「重態」と強い表現を用いています。
これは、乃木の象徴性の大きさを反映したものです。
◾️ 宮内大臣による奏上
田中宮内大臣が直ちに見舞い、天皇に奏上したという記述は、
- 乃木大将が単なる将官ではなく、天皇の信任厚い存在
- 皇室と軍の密接な関係
を示しています。
◾️ 明治後期の「英雄報道」
この種の記事は、
- 個人の事故であっても
- 国家・皇室・軍と結び付けて報道
する、明治後期の英雄崇拝的報道姿勢の典型例です。
乃木の動静は、健康状態に至るまで「公的事項」として扱われました。
◾️ 総括
この記事は、
- 日露戦争後の日本社会における乃木希典の特別な位置
- 皇室行事と軍人が持つ象徴性
- 明治新聞が担った「国民的感情の形成」
をよく示しています。
単なる落馬事故でありながら、国家的出来事として詳細に報じられた点に、当時の日本社会の価値観と時代精神が色濃く表れています。

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