1906年09月10日 電車値上げ反対を利用して 労働党を創立

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.142

(1906年9月10日 日本)
 労働党創立の集会は、予告どおり9日午後6時半から両国館で開かれた。傍聴者は約400人で、入場料は8銭であった。この集会は、もともと「労働党創立会」と「電車値上げ反対演説会」を兼ねたものであったため、演説内容も両者が入り混じり、各演説者が5分ずつ交互に話す形となった。奥宮健之氏に代わって土肥新氏が、労働党創立の趣旨を説明し、その後も数名の演説者が登壇した。演説の最中には、労働党創立宣言書が配布された。 
 しかし、西岡某の演説中、聴衆の中から「中止せよ」との声が上がった。西岡は「演説を中止すべきか否か」を聴衆に問いかけ、結果として中止が可決され、演壇を降りた。
 その後、加納某が「ここ二、三日は電車襲撃を続け、われわれ労働党の同志である人力車夫に、彼ら(電車会社)に痛手を与えさせよ(=客を奪わせよ)」と締めくくったが、これは当夜の二つの滑稽な出来事の一つであった。

◾️ 電車値上げ問題とは何か

 1906年(明治39年)当時、東京市内では市電(東京電車鉄道・東京市街鉄道など)が急速に普及していましたが、その一方で運賃値上げが市民の強い反発を招いていました。

 特に影響を受けたのは、
  ・通勤・通学で電車を使う都市労働者
  ・電車と競合関係にあった人力車夫
であり、値上げ反対運動は街頭演説や集会を通じて拡大していきました。

◾️ 労働党創立の時代背景

 この時期、日本ではまだ本格的な労働政党は存在しておらず、
  ・1901年:社会民主党(即日禁止)
  ・1903年:平民社(社会主義思想の拠点)
といった試みは、政府の治安警察法などによって強く弾圧されていました。

 1906年は、日露戦争後の不況と物価高騰により、
  ・労働争議
  ・社会主義思想
  ・労働者の政治結集
が一気に可視化し始めた時期です。

 この記事にある「労働党」も、そうした流れの中で生まれた極めて初期の労働者政党の一つです。

◾️ 「電車値上げ反対を利用して」という見出しの意味

 見出しにある「利用して」という表現には、新聞側の冷ややかな評価がにじんでいます。

 つまり、
  ・電車値上げという大衆的な不満を“呼び水”にして
  ・労働党創立という政治的目的を達成しようとした
という見方です。

 演説が「5分ずつ入り混じった」「混淆なりき」と書かれているのも、
  ・運動の焦点が定まっていない
  ・政治運動として未成熟
であることを暗に示しています。

◾️ 「電車襲撃」発言と滑稽さ

 最後に紹介される「電車襲撃を続けよ」「人力車夫に電車会社を痛めつけさせよ」という発言は、
  ・直接行動をあおる過激さ
  ・電車と人力車という旧来産業と新技術の対立
を象徴しています。

 新聞がこれを「滑稽」と評しているのは、
  ・現実性に乏しい扇動
  ・内輪受けの誇張表現
として見ていたためです。

◾️ 歴史的意義

 この事件は、
  ・日本における労働政党形成の試行錯誤
  ・都市化・交通近代化が生んだ社会対立
  ・大衆運動と政治運動の結びつきの初期段階
を示す貴重な史料です。

 成功とは言い難い集会でしたが、後の労働運動・社会主義運動の土壌を理解するうえで重要な一コマといえます。

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