(1906年12月15日 国民新聞)
大日本電気鉄道会社
資本金5,000万円の大日本電気鉄道会社は、13日、名古屋市役所を経由して関係当局に出願した。発起人は、三重県津市の小河義郎、京都市の井上静雄、水戸市の小山田量、神奈川県中郡の栗原宣太郎、大阪市の山口宗太郎、東京市の川崎芳之助・大倉亀造・小山田信蔵、東京府南葛飾郡の関根義介らである。株式は100万株とし、その4分の1を発起人が引き受けることとした。
この電気鉄道は、京都市上京区三条を起点とし、東京市芝区新桜田町に至る路線を本線とし、神奈川県中郡平塚新宿から分岐して横浜市に至る路線を支線とする計画である。国道・県道沿いに単線を敷設し、一般旅客の営業運転を行う予定である。電力については、本線・支線の沿線に13か所の火力発電所と21か所の変圧所を設け、自社で発電した電力を使用する計画である。
本線・支線を合わせた延長は353マイル(約568キロメートル)で、1マイル当たりの建設費は14万1,640円余と見積もられている。資本金5,000万円は、これらの建設・設備費に充てる計画であり、本社は名古屋市伝馬町に置くという。
(以下、内訳略)
この記事は、明治末期に構想された「長距離電気鉄道」という極めて野心的な計画を伝えるものです。
◾️ 当時の鉄道事情と「電化」構想
1906年は、ちょうど
- 鉄道国有法が施行され
- 東海道本線など主要幹線が国有化された直後
にあたります。
当時の国鉄幹線はすべて蒸気機関車で運転されており、
- 煤煙・騒音
- 勾配での性能低下
- 都市部での公害
といった問題を抱えていました。
一方で、東京・大阪・京都などの都市部では、路面電車や郊外電鉄が急速に普及し、「電気鉄道は未来の交通」という認識が広まりつつありました。
◾️ 東京―京都を電気鉄道で結ぶという大胆さ
本計画は、
- 東京―京都を最初から全線電化
- 国道・県道沿いに単線敷設
- 自前の発電所で電力供給
という、当時としては破格に先進的かつ大胆な構想でした。
とくに、幹線鉄道を電気で走らせるという発想は、欧米でもまだ実験的段階で、日本では事実上前例がありませんでした。
◾️ なぜ実現しなかったのか
この計画は結局、
- 建設費・発電設備費が莫大
- 国有鉄道(東海道本線)との競合
- 技術的・制度的な未成熟
- 投資家のリスク回避
といった理由から、実現には至りませんでした。
とくに、東京―京都間は国鉄の最重要幹線であり、民間会社が並行して長距離路線を建設することは、政治的にも困難でした。
◾️ 電力事業と鉄道の結合
注目すべきは、
- 発電所13か所
- 変圧所21か所
- 電力の完全自営
という構想です。
これは、鉄道と電力事業を一体で運営しようとする、当時の「電力国家構想」的発想を反映しています。
同時代の福澤桃介らが進めた電力開発や、各地の電気鉄道事業と同じ思想的潮流に属します。
◾️ 名古屋を本社とする意味
本社を名古屋に置く点も象徴的です。
- 東京と京都の中間
- 東海道経済圏の要衝
- 鉄道・電力双方の拠点候補
として、名古屋を中枢都市として位置づけようとする意図が読み取れます。
◾️ 総括
この記事は、
- 明治末期の実業家たちが描いた
- 「電化された近代日本」の未来像
を端的に示しています。
実現こそしなかったものの、
このような構想が公然と新聞に掲載される段階に達していたこと自体が、日本の工業化・電化への強い期待と熱気を物語っています。

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