(1907〈明治40〉年7月18日・日本新聞)
電線はすべて地下に埋設した方が、さまざまな故障が少なくなり、さらに市街地の景観も向上するという理由から、電線の全面地下化を構想する人が少なくない。そこで今回、東京電燈は、市内の主要地区で電線を地下化する計画を立てた。
まず第一段階として、日本橋区の電灯用架空線を本年中に地下線へ切り替え、その後は京橋区、麹町区などへ順次工事を拡大する予定である。同社は近く主管官庁に対し、この計画の認可申請を行う見込みだという。
写真・図引用:https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/history2taisho.html?utm_source=chatgpt.com
◾️ 当時の東京は「電線だらけ」になり始めていた
1907年は日露戦争後の好景気と都市化の時代でした。
電灯の普及によって東京市内には急速に電柱と電線が張り巡らされ、街路上空は複雑な架空線で埋め尽くされつつありました。東京電燈は1880年代から電力供給を拡大し、東京の電化を主導していました。
しかし、
- 強風や火災による断線
- 電柱倒壊
- 電線同士の接触事故
- 景観悪化
といった問題が目立つようになります。
この記事は、日本で本格的な「無電柱化(電線地中化)」が議論され始めた初期段階を伝える貴重な史料です。
◾️ 日本橋は東京の中心街だった
当時の日本橋は、
- 金融街
- 商業街
- 百貨店街
として東京随一の繁華街でした。明治後期には近代都市化が急速に進み、「文明都市東京」の象徴と見なされていました。
そのため、まず日本橋から景観を改善しようという発想は非常に自然なものでした。
◾️ 現代にも続く「無電柱化」の原点
興味深いことに、2026年現在でも日本の都市では電柱・架空線が多く残っています。
しかし東京では20世紀初頭から地中化計画が進められ、大正期には市内15区のうち11区で地下配電が展開されました。
つまり、1907年の記事は現代の無電柱化政策の出発点の一つと見ることができます。
◾️ まとめ
このニュースは一見すると単なる都市インフラ整備の記事ですが、実際には
- 東京の近代化
- 電力網の拡大
- 都市景観への意識の高まり
- 日本初期の無電柱化政策
を示す重要な史料です。
明治40年の時点で既に、「電線は地下に埋めた方が美しい」という考え方が存在していたことは非常に興味深い点です。現在の東京で進められている無電柱化事業の源流を、この短い記事の中に見ることができます。


コメント