(1907年7月19日午前1時 京城特派員発)
昨日お伝えしたように、伊藤統監が韓国皇帝に謁見した際、皇帝は終始話題をそらしながら、暗に統監の意向を探ろうとした。しかし統監は一切それに応じず、約1時間で退出した。その後さらに約1時間が経過した午後8時頃から、韓国の各大臣が皇帝に拝謁し、改めて退位を求めた。しかし皇帝は頑として受け入れなかった。
午後11時になると、皇帝は「元老たちに意見を聞きたい」と述べ、申箕善、閔丙奭、徐正淳ら数名を宮中に招いた。一方、閣僚たちはひとまず別室へ退き、元老たちによる意見聴取が行われることとなった。
写真・図引用:https://www.city.hikari.lg.jp/soshiki/9/bunka/bunkashinkou/1/3365.html?utm_source=chatgpt.com
この記事は、韓国皇帝(大韓帝国皇帝)である高宗の退位が決定される直前の緊迫した宮廷内の様子を伝えています。
◾️ 海牙密使事件が発端
1907年、高宗は日本の保護国化に反発し、密かに使節を第二回ハーグ平和会議へ派遣しました。
しかし韓国は1905年の第二次日韓協約によって外交権を失っていたため、日本政府はこれを重大な条約違反とみなしました。
この「海牙密使事件」を受けて、日本側は高宗の退位を求める方針を固めます。
◾️ 伊藤統監と韓国政府
当時の韓国には日本の統監府が置かれ、
- 統監:伊藤博文
- 韓国首相:李完用
が中心となって政務を進めていました。
この記事からは、
- 皇帝はなお退位を拒否している
- 大臣たちは退位を求めている
- 伊藤統監は態度を明かさない
- 宮廷内では深夜まで協議が続いている
という様子が読み取れます。
◾️ 「元老諮問」の意味
ここで呼ばれた元老たちは、
- 申箕善
- 閔丙奭
- 徐正淳
など、朝鮮王朝以来の重臣たちでした。
皇帝は彼らの権威を利用して事態打開を図ろうとしましたが、実際には政治情勢は既に皇帝に極めて不利でした。
この会議の翌日未明、高宗は退位詔書に署名することになります。
◾️ まとめ
この新聞記事は、高宗退位直前の「最後の宮廷会議」を実況的に伝えたものです。
ポイントは、
- 海牙密使事件で日本との対立が決定的となった
- 閣僚は退位を要求した
- 高宗は最後まで抵抗した
- 元老たちに意見を求めて時間を稼ごうとした
- しかし翌日に退位が決定した
という点です。

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