(1907〈明治40〉年10月6日・萬朝報)
一昨日午後3時45分ごろ、大阪府三島郡大冠村前島(現在の大阪府高槻市・淀川の中州付近)にあった、大阪市東区北久太郎町一丁目の野原林之助が経営する廃弾処理工場で、突然、処理中の砲弾が爆発した。その火が、近くに積み上げられていた2万800発もの廃弾に燃え移り、それらも一斉に爆発した。さらに隣接していた3棟の火薬貯蔵庫も次々に爆発し、飛び散った火は、廃弾を満載した船にも燃え移った。
爆発音は、まるで百もの雷が同時に落ちたかのような激しい轟音となり、約3時間にわたって鳴り響いた。もうもうと立ちこめる黒煙は前島一帯を覆い尽くした。
工場で作業していた50人余りの女性工員は跡形もなく吹き飛ばされ、炎を逃れた約40人も川へ飛び込んで行方不明となった。
(以下略)
写真・図引用:https://smtrc.jp/town-archives/city/sakai/p08.html?utm_source=chatgpt.com
⚫︎ 廃弾処理工場とは
明治時代、日本では
- 日清戦争(1894~1895年)
- 日露戦争(1904~1905年)
を経て、大量の使用済み・不発弾・不要弾薬が残されました。
これらは軍から民間業者へ払い下げられ、
- 火薬を抜き取る
- 金属を再利用する
- 部品を回収する
目的で「廃弾処理工場」が各地に設けられました。
しかし、安全基準は現在ほど整備されておらず、事故が繰り返し発生していました。
⚫︎ なぜ女性工員が多かったのか
記事では「女工五十余名」とあります。
当時の火薬・弾薬関連工場では、
- 細かい作業に向く
- 賃金が男性より低い
という理由から、多くの女性が雇用されていました。
これは紡績工場などと同じ傾向です。
しかし、
- 防護設備
- 防火設備
- 労働安全教育
は極めて不十分でした。
そのため、一度事故が起こると甚大な被害となりました。
⚫︎ 2万800発という数字
記事では「廃弾二万八百発」とあります。
これは工場内に保管されていた砲弾・弾薬の数量を示しています。
一斉誘爆が起きたため、
- 爆風
- 火災
- 飛散する砲弾
が連続して発生し、約3時間も爆発が続いたと報じられています。
ただし、「約3時間」というのは断続的な誘爆が続いた時間を含む表現と考えられます。
⚫︎ 淀川中州という立地
工場が建てられていた前島は淀川の中州でした。
これは、
- 万一爆発しても市街地への被害を減らす
- 水運で弾薬を運搬しやすい
という理由によるものです。
しかし実際には、
- 火薬倉庫
- 弾薬
- 船舶
が近接していたため、大規模な連鎖爆発となりました。
⚫︎ 明治時代の労働災害
この事故は、日本が急速に工業化する一方で、労働者保護制度が未成熟だったことを象徴しています。
まだ
- 労働基準法
- 労働安全衛生法
- 労災保険
などは存在しておらず、事故後の補償も十分ではありませんでした。
こうした事故の積み重ねが、後の労働安全法制の整備につながっていきます。
⚫︎ まとめ
この記事は、大阪府三島郡大冠村前島の廃弾処理工場で発生した大規模爆発事故を速報として伝えています。
主なポイントは次のとおりです。
- 廃弾処理中の爆発が、約2万800発の弾薬や火薬庫へ誘爆した。
- 爆発は約3時間続き、黒煙が一帯を覆う大惨事となった。
- 作業中だった多数の女性工員が犠牲となり、川へ避難した人々も行方不明となった。
- この事故は、日露戦争後の軍需処理事業の危険性と、明治期の労働安全対策の未整備を象徴する出来事であった。

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