(1907年11月9日・中外商業新聞)
ロンドンの金融情勢は、フランス中央銀行が特別に好意的な援助を行ったため、いったん少し落ち着きを取り戻した。しかし、アメリカの金融情勢が救済されない限り、まだ完全に安心することはできないと、前号で報じた。実際、その前日の平静は一時的な小康状態にすぎず、再び険悪な状況になったとの報道が入ってきた。
■金融界はさらに緊張
8日、ある筋から届いたロンドン電報によると、イングランド銀行は7日、さらに金利を引き上げ、7%とした。
前回から1ポイントの引き上げである。また、フランス銀行も7日、イングランド銀行の利上げに伴って金利を4%へ引き上げた。こちらは0.5ポイントの引き上げである。
ロンドン金融市場では、フランスからの援助があったにもかかわらず、イングランド銀行が断固としてさらに金利を引き上げた。これは、アメリカがますます金を吸収しようとしており、ヨーロッパからアメリカへ金が大量に流出する状況になっているため、その流出を防ごうとしたものだ。
アメリカは、ヨーロッパへ穀物を輸出する時期を迎えていた。その代金を金で受け取り、アメリカ国内に大量の金を集めようとしていた。
(以下略)
⚫︎ 背景にある「1907年恐慌」
この記事の中心にあるのは、1907年恐慌(Panic of 1907)です。
発端はアメリカでした。
当時のニューヨークでは、銀行・信託会社への取り付けが発生し、10月には金融市場が大混乱しました。
⚫︎ アメリカの金融危機がヨーロッパへ波及
アメリカで金融不安が起きると、国際金融市場にも影響しました。
特に問題になったのが「金」です。
当時は現在のような変動相場制ではなく、主要国が金本位制を採用していました。
そのため、金がどの国に移動するか=その国の金融力に大きく影響するという時代でした。
アメリカがヨーロッパから金を集め始めると、イギリスなどでは金が不足する可能性があります。
そこでイングランド銀行は、
金利を上げる
→ロンドンで資金を運用する魅力を高める
→金の流出を防ぐ
という政策を取ったわけです。
⚫︎ イングランド銀行の「7%」は非常に高い
記事では、「七分とせり」とあります。
これは金利7%という意味です。
現在の感覚からするとかなり高い数字ですが、当時としても非常に強烈な金融引き締めでした。
しかも記事では、「一週間に三回利上」とあります。
つまり、金融市場がそれだけ急速に悪化していたということです。
イングランド銀行は金利を引き上げて、国内からの金流出を防ごうとしていました。
⚫︎ フランス銀行も利上げ
フランス銀行も、4%へ引き上げています。
ここで重要なのは、フランス銀行が単独で動いているのではなく、「英蘭銀行の金利引上に伴ひ」と記事が書いている点です。
つまり、
アメリカの金融危機
→アメリカが金を吸収
→ヨーロッパから金が流出
→イギリスが金利引き上げ
→フランスも追随
という国際的な連鎖が起きていました。
⚫︎ なぜアメリカは金を集めていたのか?
記事では、「米国は目下欧洲に向け穀物を輸出する時期」と説明しています。
アメリカは当時、世界有数の農業国でした。
ヨーロッパへ小麦などの穀物を大量に輸出しており、その輸出代金として金がアメリカへ流入しました。
つまり、ヨーロッパ → アメリカへ金が移動する季節的な要因も重なっていたのです。
そこへ1907年恐慌によるアメリカ国内の金需要が加わったため、ヨーロッパの金融市場に大きな緊張が生じました。
⚫︎ まとめ
この記事は、1907年恐慌がアメリカ一国の問題ではなく、ヨーロッパを巻き込む国際金融危機になっていたことを伝えています。
ポイントは4つです。
- アメリカで1907年恐慌が発生
- アメリカが金を大量に吸収し、ヨーロッパから金が流出
- イングランド銀行が金流出を防ぐため、金利を7%まで引き上げ
- フランス銀行も4%に利上げし、金融引き締めが国際的に波及
つまり、この時代にはすでに、ニューヨークの金融危機 → ロンドン → パリ → 世界各地 という金融危機の波及が起こっていました。
これは、20世紀初頭に世界経済がすでにかなり密接につながっていたことを示す重要な記事です。


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