(1907年11月12日・新聞日本)
「美顔術」という看板を東京の街で初めて見かけるようになったのは、昨年(1906年)の秋ごろだった。当時、本紙でも美顔術について詳しく紹介したが、最近では、この施術を受ける人が一般に増えてきたという。
日本橋区本町1丁目14番地の「調髪館」を経営する荘司七之助(31歳)の妻、ナホ(30歳)は、美顔術の応用をさらに広げようとしている。顔の手入れだけではなく、薬品を使って、形の悪い爪を整えたり、光沢のない爪を磨いて輝かせたりする「理爪術」も行っている。さらに「発毛術」と称して、頭髪が薄くなった人に帽子のような形をした排気装置をかぶせ、頭皮の毛穴をきれいにするとともに、毛根を育てるという施術も行っている。
(中略)
ナホさんによると、「『美顔術』などというので、ここに来るお客様は、みなさんおしゃれな方なのだろうと思っているのですが、実際には皆さん、こっそり来られます。貴婦人やお嬢様方は、お互いに『誰々がここに来たことは、絶対に他人に言わないでください』とおっしゃいます。ところが、時々お客様同士が鉢合わせしてしまうことがあって、面白いですよ。お客様はいろいろな方が来られますが、相撲取りだけは、まだ施術したことがありません。」とのことである。
写真・図引用:https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/cosmehistory/31.html?utm_source=chatgpt.com
⚫︎ 「美顔術」は明治末期の新しい美容サービス
1906~07年ごろの東京では、現在のエステや美容サロンに近いサービスが登場し始めていました。
「美顔術」は、単なる化粧品販売ではなく、
- 顔の手入れ
- 肌の改善
- 爪の手入れ
- 頭髪のケア
などを行う、当時としては新しいサービスでした。
⚫︎ 美容が「商売」になっていく
この記事で面白いのは、「美顔術」という看板そのものが珍しかったことです。
つまり1906~07年ごろには、美容が家庭内で女性が自分で行うものだけではなく、
専門家にお金を払って施術してもらうサービス
へと変化し始めていました。
明治後期の都市では、洋装・化粧品・理髪・美容など、近代的な「身だしなみ産業」が成長していました。
⚫︎ 爪や髪まで対象になっている
現在の感覚でいうと、この記事のサービスはかなり幅広いです。
顔 → 爪 → 髪
と、身体の外見全体を美しくしようとしています。
特に、「発毛術」は興味深いところです。
帽子型の装置をかぶせて毛穴を掃除し、毛根を育てるという方法で、現在の育毛サロンに近い発想があります。
ただし、当時の「発毛術」に医学的な効果があったとは限りません。新聞記事として紹介されている美容法と、現代医学上の治療とは区別する必要があります。
⚫︎ 「貴婦人やお嬢様がこっそり来る」
この記事で特に面白いのがここです。
当時、美容にお金をかけることは、「人前で堂々と見せるもの」ではなく、少し秘密めいた行為でもあったことが分かります。
ナホの話では、「誰が来たか他人には言わないで」と女性客同士が頼んでいたそうです。
一方で、客同士が店内で偶然出会ってしまう。
新聞はそこを面白おかしく描いています。
つまりこの記事は、明治末期の上流・中流女性の美容意識が高まっていたことを示すだけでなく、当時の女性たちが「美しく見られたい」という欲求を持ちながら、それを公にはあまり語らなかったことも伝えています。
⚫︎ まとめ
この記事から分かることは4つです。
- 1906~07年ごろ、東京で「美顔術」という新しい美容サービスが登場していた。
- 顔だけでなく、爪や髪の手入れまでサービスの対象になっていた。
- 貴婦人やお嬢様など、女性客が人知れず美容サービスを利用していた。
- 明治末期には、美容が次第に「専門家にお金を払って受けるサービス」になりつつあった。
特に重要なのは、この記事が単なる美容ニュースではなく、「明治の東京で、現代的な美容・ファッション文化が形成され始めていた」ことを示す史料だという点です。


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