(1907〈明治40〉年10月15日・中外商業新聞)
フィリピンを売却するという説が世間で流れている。これを、ある方面が作り出した単なるデマだと考える人もいる。しかし、「噂には何らかの理由があるものだ」と言われるように、まったく根拠のない話とも言い切れないようである。
なかでも特に奇妙なのは、アメリカの新聞『ニューヨーク・ヘラルド』の主張である。同紙は、アメリカがフィリピンを統治して9年になるにもかかわらず、その統治は十分な成果を上げておらず、スペイン領時代とほとんど変わらない状態だと論じている。ここまではまだ理解できるとしても、「フィリピンを売却すれば、日本と戦争をする必要がなくなる」。さらに、「アメリカがフィリピンを領有しているからこそ、日米戦争が必要になる」という主張にまで至っている。このような議論になると、各論はまったく愚かな説に近いと言わざるを得ない。
(以下略)
⚫︎ 「比島」とはフィリピン
「比島(比律賓)」とは、フィリピンのことです。
1898年の米西戦争の結果、スペインはフィリピンをアメリカへ割譲しました。
その後、
- 1899~1902年:米比戦争
- 1902年以降:アメリカ植民地として統治
という経過をたどります。
1907年は、アメリカ統治が始まって約9年という時期でした。
⚫︎ なぜ「売却説」が流れたのか
当時のアメリカ国内では、フィリピン統治には
- 多額の軍事費
- 植民地行政費
- 独立運動の鎮圧
など大きな負担が伴っていました。
そのため、「いっそ手放した方がよいのではないか」という議論が一部で存在していました。
もっとも、政府が公式に売却を検討していたわけではなく、多くは新聞や評論家による観測や憶測でした。
⚫︎ なぜ日本の名前が出てくるのか
1905年の日露戦争で日本がロシアに勝利すると、欧米では「次は日本が南方へ進出するのではないか」という見方が急速に広まりました。
特にフィリピンは
- 台湾(1895年から日本領)
- 南西諸島
- 中国沿岸
に近く、日本の勢力圏に入り得る場所と考えられていました。
そのため一部のアメリカ人論者は、フィリピンを保有している限り、日本との軍事衝突の危険は避けられないという極端な議論を展開しました。
この記事は、その議論を「愚説」と批判しています。
⚫︎ タフトとフィリピン
興味深いことに、この時期に来日していたウィリアム・ハワード・タフトは、1900~1904年にフィリピン委員会委員長・初代文民総督を務めた人物でした。
彼は
- インフラ整備
- 教育制度
- 地方自治
などを進め、「フィリピン統治の設計者」とも呼ばれます。
そのため、フィリピン問題は1907年の日米外交でも重要なテーマでした。
⚫︎ 実際に売却は検討されたのか
歴史研究では、アメリカ政府が1907年前後にフィリピンを日本へ売却する具体的な交渉を行った事実は確認されていません。
しかし、
- 欧米新聞
- 外交評論
- 世論
では売却説や交換説が繰り返し取り上げられていました。
その背景には、
- 日本の急速な台頭
- 太平洋における勢力均衡への不安
- アメリカの植民地経営への疑問
がありました。
⚫︎ まとめ
この記事は、アメリカ国内や欧米メディアで流れた「フィリピン売却説」を紹介しつつ、その中でも「フィリピンを手放せば日本との戦争を避けられる」という論調を批判したものです。
ポイントは次のとおりです。
- アメリカ統治下のフィリピンについて、売却説が新聞などで取り沙汰されていた。
- 『ニューヨーク・ヘラルド』は、フィリピン保有が日米戦争の原因になるという見方を紹介した。
- 記事はその議論を「愚説」と断じ、日本との戦争を前提とする考え方を否定している。
- この背景には、日露戦争後に日本が太平洋地域の新興列強として注目され、欧米でその動向が警戒されていた国際情勢があった。
この記事は、1907年当時の国際世論が、日本の台頭をどのように受け止めていたかを知るうえで興味深い史料といえます。


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