1907年02月21日 浅草六区の白首退治

1907年

(1907年2月21日『東京朝日新聞』)
浅草公園の往来の安全
 浅草公園の景観を損ね、風紀を乱す「白首党」と呼ばれる一部の人々を追い払うため、当局は以前から取り締まりを進めていた。当初は昨年12月31日までに立ち退くよう命じていたが、さらに50日間の猶予が与えられていた。
 対象となったのは、浅草六区の外側、すなわち
  ・凌雲閣(十二階)の下から
  ・伝法院の裏手に至る
いわゆる「溝端」と呼ばれる地域にある
  ・酒屋
  ・碁会所(囲碁の遊技場)
  ・新聞縦覧所
などの店である。
 また、千束町の人通りの多い場所にある店もすべて撤去を命じられた。そしてその期限がついに昨日となり、これらの営業者百名余りは同日をもって閉店した。その結果、この地域の往来はようやく安全になった。
 しかし中には、
  ・横町で煙草の小売店に姿を変える者
  ・太郎稲荷の境内に仲間で集まり移動した者
なども多く、完全な解決には至っていないようである。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/132

写真・図引用:https://smtrc.jp/town-archives/city/ueno/p07.html

◾️ 浅草六区とは何か

浅草六区 は、明治〜昭和初期に日本最大の娯楽街だった。

位置

  • 浅草寺西側
  • 現在の浅草ROX周辺

特徴

  • 劇場
  • 活動写真館(映画館)
  • 見世物小屋
  • 寄席
  • 飲食店

が集中する、日本最初期の近代娯楽街だった。

しかし同時に

  • 賭博
  • 無許可営業
  • 浮浪者
  • 非合法商売

も集まり、治安問題が頻発していた。

◾️ 「白首党」とは何か

記事に出てくる白首党(はくしゅとう)は、当時の新聞用語で浮浪者・無職の遊民・不良集団を意味する言葉だった。

語源

  • 「白首」=年を取っても働かない者
  • 転じてぶらぶらしている人間

つまり、街にたむろする半ば無職の集団を指す。

◾️ 警視庁による都市浄化政策

明治後期、東京では

  • 日露戦争後の人口増加
  • 都市貧民の増大
  • 治安悪化

が問題となっていた。

そのため政府は都市の風紀取締りを強化し

  • 浅草
  • 神田
  • 新橋

などで違法店舗の撤去を進めた。

この記事はその一環である。

◾️ まとめ

この1907年の記事は、浅草六区で行われた都市浄化・治安対策を伝えている。

ポイントは

  • 浅草六区は日本最大の娯楽街
  • 非合法商売や浮浪者が集まり治安が悪化
  • 当局が店舗撤去と集団排除を実施
  • 100人以上の営業者が閉店

しかし

  • 別の店に姿を変える
  • 他の場所に移動する

など、問題は完全には解決していないことも示している。

これは近代都市東京が抱えた「都市貧民問題」を象徴する記事でもある。

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