1907年02月19日 大博士・小博士 博士でない大博士

1907年

(1907年2月19日、新聞日本)
教育小言
 一口に「博士」と言っても、最近では世間でそれほどありがたがられなくなってきた。
しかし、学問の分野によって博士号を得る難しさにはかなり差がある。

 例えば、法学博士になるには、大学を卒業してから三、四年ほどドイツやパリに留学し、ビールでも飲んで帰ってくれば、まず間違いなく取得できると言われている。それに対して、数学の理学博士などは、一生研究しても博士になれる見込みがないと、新進の学士たちが不満をこぼしているほどである。
 これは各分野にいる「元老博士」がどのような基準を設けているかによるところが大きい。

 例を挙げると、植物学者の三好学の名は、日本では知らない者がいないほど有名であるが、西洋では博士としてそれほど名声が知られているわけではないらしい。一方、ある学士は、ソテツ(蘇鉄)の生殖は雌しべと雄しべの単なる交合によるのではなく、精子(精虫)の働きによることを認め、さらにソテツより高等な植物であるイチョウ(公孫樹)にも精子が存在することを発見した。この発見はヨーロッパの植物学界を驚かせ、彼は世界的な学者となった。しかし日本では、博士論文の審査に失敗したため、いまだに大学の片隅にいるただの学士に過ぎない。それでもその先生は落ち着いたもので、黙々とこの学問の研究を続けているのである。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/132

写真・図引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/平瀬作五郎?utm_source=chatgpt.com

◾️ 日本の博士号制度(明治期)

明治期の日本では、現在のような大学院課程を修了すると博士号が得られる制度ではなかった

当時は

  • 論文提出
  • 学界の権威(元老教授)の審査

によって与えられる名誉的な学位に近いものだった。

つまり

  • 学界の人脈
  • 教授の評価
  • 分野ごとの慣習

によって取得難易度が大きく異なっていた。

この記事は、その制度の不公平さを皮肉ったコラムである。

◾️ 記事の「某学士」の正体

ここで言及されている人物は、ほぼ確実に植物学者・平瀬作五郎である。

彼は

  • 1896年 イチョウの精子(遊泳精子)を発見

という世界的発見をした。

しかし

  • 学歴が十分でない
  • 学界の派閥

などの事情で、当時は長く博士号を得られなかった。

この発見は植物進化研究にとって革命的だった。

◾️ まとめ

この1907年の記事は、「博士号の価値と学界の不公平」を皮肉った教育コラムである。

ポイントは次の通り。

  • 明治期の博士号は現在のような制度ではなかった
  • 分野や学閥によって取得難易度が違った
  • 世界的発見をしても博士になれない研究者がいた
  • 日本の学界の保守性を批判している

つまりこの記事は「博士号よりも本当の学問の価値が大事だ」というメッセージを伝えている。

コメント