(1907年7月12日、東京朝日新聞)(7月11日、京城発)
高宗 は、しきりに伊藤博文の意向を知りたがっているようである。しかし、統監はいまだ宮中へ参内していない。
昨10日夜に予定されていた御前会議が流会となったのも、統監の意向を探るための時間を稼ぐ目的だったのではないかと推測されている。
また、李完用 は、本11日夜に宮中へ入る予定であるが、おそらく皇帝への謁見は許されないだろうとみられている。
写真・図引用:https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide/report/KR/2025/07/337_297155_1751510206.html
⚫︎ ハーグ密使事件後の緊迫状態
この記事は、直前に起きたハーグ密使事件の余波の中で書かれています。
韓国皇帝・高宗は、日本の保護国化に反発し、秘密裏に特使を第二回ハーグ平和会議へ送り込みました。
しかし、
- 各国は韓国代表を正式承認せず
- 日本側は「協約違反」と激怒
- 統監府は高宗への責任追及を強化
という事態になりました。
この記事は、まさに「高宗退位直前の緊張した宮廷空気」を伝える史料です。
⚫︎「統監が参内しない」意味
当時の韓国において、伊藤博文は事実上、日本の最高権力者でした。
その統監が「参内しない」というのは、
- 皇帝との距離を意図的に取る
- 圧力をかける
- 処分決定前の政治的駆け引き
を意味します。
つまりこの記事は、日本側が高宗に強い心理的圧迫を加えていた状況を示しています。
李完用の立場
李完用 は、
- 日本との協調路線
- 皇帝説得
- 政権維持
を図っていました。
しかし密使事件により、
- 皇帝派
- 親日官僚派
- 独立派
の対立が激化し、李完用自身も非常に難しい立場に置かれていました。
この記事で「謁見を許されないだろう」とされているのは、
- 宮中の混乱
- 皇帝側の警戒
- 政府内部の分裂
を反映しています。
⚫︎ その後の展開
この数日後、日本側の圧力により、高宗は退位します。
そして皇太子の純宗が即位しました。
さらに同年、
- 韓国軍解散
- 日本人次官配置
- 統監府権限強化
が進み、最終的には1910年の韓国併合へつながっていきます。
⚫︎ まとめ
この記事は、ハーグ密使事件後の韓国宮廷が、
- 極度の緊張状態
- 日本側への恐怖
- 皇帝と官僚の分裂
に包まれていたことを伝えています。
特に、「統監が参内しない」という短い記述には、
- 日本側の圧力外交
- 高宗孤立化
- 退位への布石
が象徴的に表れています。
また、日本側新聞らしく、
- 統監府中心
- 皇帝側を動揺した存在として描写
する傾向も見られ、当時の日本世論の視点を知る上でも重要な史料です。


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