1907年07月25日 女子大学の山中夏季寮

1907年

(1907〈明治40〉年7月25日『東京朝日新聞』)
 日本女子大学では夏季休業に入りました。帰省しない学生のために、学内の寄宿舎と信州・軽井沢の二か所に夏季寮を設けています。
 軽井沢の寮は、大学部3年生を中心として運営され、「三泉寮」と呼ばれています。場所は軽井沢駅から北へ数十町(約4~5km)の愛宕山のふもとにあります。約40名の寮生は、7月14日の早朝に現地へ出発しました。そこで学生たちは、家庭生活に関するさまざまな事柄を研究・実習する予定です。一方、学内では新築された「晩香寮」を夏季寮として使用し、二つの寮に分けています。一つは大学部2年生、もう一つは附属高等女学校の生徒と大学部1年生が生活することになっています。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/170

写真・図引用:https://www.jwu.ac.jp/unv/about/history/photographs.html?utm_source=chatgpt.com

⚫︎ 日本女子大学と女子高等教育

日本女子大学は1901(明治34)年に創立されました。

創設者は教育家の成瀬仁蔵で、「女子にも高度な教育を」という理念を掲げ、日本初の本格的な女子大学教育機関として設立されました。

当時の女子教育は裁縫や礼儀作法が中心でしたが、日本女子大学では

  • 家政学
  • 教育学
  • 文学
  • 自然科学

なども学ぶことができ、近代的な女性教育を目指していました。

⚫︎ 「夏季寮」という教育

この記事で紹介されている夏季寮は、単なる避暑や合宿ではありません。

明治時代の女子教育では、

  • 自立した生活能力
  • 家事運営
  • 健康管理
  • 協同生活

を身につけることが重要視されていました。

そのため学生自身が共同生活を送り、

  • 食事の準備
  • 家計管理
  • 掃除
  • 当番制度
  • 規律ある生活

などを実践しながら学びました。

記事にある「家庭生活に関する諸般の事項を研究せしむる」という一文は、現在でいう「生活科学」や「家政学実習」に近い教育を意味しています。

⚫︎ 軽井沢が選ばれた理由

軽井沢は明治20年代以降、外国人宣教師や外交官によって日本有数の避暑地として発展しました。

当時は

  • 涼しい気候
  • 衛生環境が良い
  • 静かな学習環境

という理由から、多くの学校が夏季教育の場として利用していました。

日本女子大学もその流れを取り入れ、学生が自然の中で健康的な共同生活を送りながら学ぶ教育を実践していました。

⚫︎ 「学生自治」の先駆け

この記事で興味深いのは、大学部3年生より組織されという記述です。

つまり三泉寮は教員がすべて管理するのではなく、上級生が中心となって運営していました。

これは現在の

  • 学生寮
  • ゼミ合宿
  • リーダー研修

にもつながる、日本の女子大学における学生自治教育の早い例と考えられます。

⚫︎ まとめ

この記事は、一見すると「夏休みの寮生活」を伝える短い学校記事ですが、当時の女子教育の理念をよく表しています。

主なポイントは次のとおりです。

  • 日本女子大学は帰省しない学生のために夏季寮を開設した。
  • 軽井沢の三泉寮では約40名の学生が共同生活を送った。
  • 学生は家庭生活や家政を実践的に学ぶ教育を受けた。
  • 上級生が寮を運営することで、自主性や指導力も育成していた。
  • 明治後期の女子高等教育が、単なる学問だけでなく生活教育や人格形成を重視していたことがわかる。

この記事は、近代日本における女子教育の先進性や、女子学生が共同生活を通じて社会的自立を目指した様子を伝える貴重な資料といえます。

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