(1907年7月24日『報知新聞』)
今回の京城(現在のソウル)の暴動には、さまざまな扇動者がいたことは間違いない。しかし、その扇動者たちは皆、先帝(退位した高宗)を中心としていたことは疑いない事実のようである。さらに、先帝の側近の中にいて、元老たちをそそのかし、暴徒の首領たちを操っている人物がいるとすれば、それは厳妃ではないかとの疑いがある。
では、厳妃はなぜこのような行動を取るのか。その事情について少し説明しよう。
(以下略)
写真・図引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Yi_Poik?utm_source=chatgpt.com
この記事は1907年の韓国皇帝退位直後の混乱を報じていますが、内容を読む際には非常に重要な点があります。
まず記事タイトルの「牝鶏晨(あした)を告げて禍乃ち来る」という表現自体が、強い価値判断を含んでいます。
これは中国古典に由来する言葉で、「雌鶏が朝を告げる(本来雄鶏がするべきことを雌がする)と国が乱れる」という意味です。
女性が政治に介入すると国家が乱れる、という儒教的な思想に基づく表現です。
つまり記事は、冒頭から「女性(厳妃)が政治を動かした結果、国家が混乱した」という前提で書かれています。
問題の人物である厳妃(後の純献皇貴妃)は、皇帝高宗の側室でした。
厳妃は宮中で大きな影響力を持っており、息子の皇位継承問題などとも深く関わっていました。
1907年はちょうどハーグ密使事件の失敗により、高宗が退位させられた直後でした。
日本側にとっては、高宗周辺で退位や日本の介入に反対する勢力は政治的障害でした。
そのため当時の日本新聞では、宮廷内の反対勢力を「陰謀」「策動」として描く傾向がありました。
現在の歴史研究では、「厳妃が暴徒を操った」という直接的証拠は明確ではありません。
むしろ考えられるのは、
- 高宗退位への反発
- 日本の影響力拡大への抵抗
- 宮廷内の権力闘争
- 皇位継承をめぐる争い
などが複雑に重なっていたことです。
つまりこの記事は「事実報道」というより、当時の日本側世論形成の側面を持つ資料として読む必要があります。
◾️ まとめ
この記事から読み取れるポイントは次の通りです。
- 京城では高宗退位後に政治的混乱が起きていた
- 日本側新聞はその背後に厳妃を疑った
- タイトル自体が儒教的・女性蔑視的価値観を含んでいる
- 「暴徒を操縦した」という確実な証拠は現在の研究では明確ではない
- 当時の新聞は情報伝達だけでなく、政治的立場を反映する媒体でもあった
この記事は「厳妃の陰謀」を示す史料というより、「1907年当時の日本が韓国宮廷をどう見ていたか」を示す史料として重要です。


コメント