1906年06月25日 戦利戦艦 石見・宗谷・丹後

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.109

(1906年6月25日 東京日日新聞)
 戦利艦である戦艦石見(旧ロシア戦艦オリョール、排水量1万3056トン)は、現在呉海軍工廠で修理工事中であるが、日本軍の砲弾によって受けた損傷はきわめて大きく、その修理費用は約300万円にも達すると見込まれている。艦内の重要部分に至っては、ほとんど改造に近い工事が行われているという。
 また、同じく戦利艦である巡洋艦宗谷(旧ロシア巡洋艦ワリャーグ、排水量6500トン)は、横須賀工廠で同様に修理中である。この艦は艦齢が比較的若く、速力も23ノットを備えているため、修理完成後は、新たな戦力として十分に活躍できるものと見られている。
 これに対し、戦艦丹後(旧ロシア戦艦ポルタヴァ、排水量1万960トン)は、明治26年(1893年)に進水した古い艦であるため、修理完了後は直ちに予備役艦籍に編入される予定であるという。

◾️ 日露戦争と「戦利艦」

 この記事は、日露戦争(1904〜1905年)で日本が鹵獲(ろかく)したロシア海軍艦艇、いわゆる戦利艦の処遇を伝えています。
  ・石見:日本海海戦で降伏・捕獲したロシアの主力戦艦
  ・宗谷:旅順港外で自沈後に引き揚げた巡洋艦
  ・丹後:旅順港で損傷・沈没後に引き揚げた戦艦

 いずれも、ロシア太平洋艦隊・バルチック艦隊の艦艇でした。

◾️ 修理費300万円の重み

 当時の300万円は、
  ・国家予算規模でも巨額
  ・戦艦1隻の新造費用に匹敵
するほどの金額です。

 それでも日本海軍が修理・改造を行ったのは、
  ・戦後の艦隊戦力を早急に補強する必要
  ・造艦技術・兵装研究の実地教材
としての価値が高かったためです。

◾️ 艦齢と軍事的価値の判断

 記事は、艦ごとの扱いの違いを明確に示しています。
  ・石見:損傷大だが主力艦 → 大改造して使用
  ・宗谷:新しく高速 → 第一線で使用
  ・丹後:艦齢が古い → 予備艦へ

 これは、限られた財政の中での合理的な戦力配分を反映しています。

◾️ 日本海軍の近代化戦略

 戦利艦の運用は単なる再利用ではなく、
  ・西欧型戦艦の設計思想の吸収
  ・機関・装甲・兵装配置の研究
  ・将来の国産戦艦建造への知見蓄積
につながりました。

 実際、これらの経験は、後の薩摩型戦艦河内型戦艦など、国産主力艦の設計に活かされていきます。

◾️ 世論と国威発揚

 新聞が「戦利戦艦」を大きく報じた背景には、
  ・日本海海戦勝利の記憶が新しい
  ・ロシア艦が「日本の軍艦」として再生する象徴性
がありました。

 これは、戦後の国民に対する国威発揚・自信の可視化でもあったのです。

◾️ まとめ

 この記事は、
  日露戦争の戦果が、単なる勝利にとどまらず、戦後の日本海軍の戦力・技術・組織の再編へと
  現実的に転化されていく過程
を具体的に伝える史料です。

 「石見・宗谷・丹後」という艦名は、勝利の記念であると同時に、近代日本海軍が実務的・合理的に成長していった証しでもありました。

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