(1906年5月10日 東京朝日新聞)
韓国からの亡命者である李埈鎔(イ・ジュンヨン)氏は、現在、房総の北条(現在の千葉県館山市北条)に滞在している。住居の家賃は月わずか六円で、従者一名、通訳二名、妾一名、さらに下女一名とともに暮らしているが、日々の生活費は常に不足し、困窮しているという。
日本語はかなり上達しており、現在は日本語の文章の研究にも余念がない様子である。しかし、祖国である韓国には、いまだ彼を受け入れる余地はなく、最近、特赦が出るという噂が伝えられた際にも、周囲の者が彼に「いずれ運が開けるだろう」と語りかけると、彼は首を振り、「それは一つの流言に過ぎないだろう。私にはいまだ何の通知も来ていない。いや、ある特定の時期が到来しない限り、到底、帰国の喜びを見ることはできないだろう」と、寂しげに語ったという。
◾️ 李埈鎔とは何者か
李埈鎔(イ・ジュンヨン)は、大韓帝国の王族・高官層に連なる人物で、政争の結果、祖国を追われ、日本に亡命していた人物です。
1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)により、韓国は日本の保護国となり、国内では
・親日派
・反日・独立派
の対立が激化しました。李埈鎔はその権力闘争の中で失脚し、身の安全を確保するため日本に滞在していたとみられます。
◾️ 「亡命」と「潜伏」の意味
記事の見出しには、
・亡命者
・潜伏
という強い言葉が使われています。
これは、李埈鎔が単なる留学生や滞在者ではなく、韓国の政情次第では命や地位に関わる立場にあった政治的亡命者であったことを示しています。
房総・北条のような東京から離れた土地が選ばれたのは、
・目立たない
・監視・保護の両面で都合がよい
という事情があったと考えられます。
◾️ 生活の困窮が語られる理由
記事は、
・月6円の家賃
・供給不足
・侘しい暮らし
といった細部を丁寧に描写しています。
これは単なる同情記事ではなく、「亡命者=落魄した旧支配層」という当時の新聞が好んだ構図でもあります。
一方で、
・従者
・通訳
・妾・下女
を伴っている点から、完全な貧民ではなく、身分的背景を保持したまま没落した人物であることも読み取れます。
◾️ 「ある時期の到来」とは何か
李埈鎔が語る「ある時期の到来せざる限りは帰国できない」という言葉は、
・政権交代
・特赦
・日本側の政治判断
など、韓国の政治状況が大きく動く瞬間を指しています。
しかし1906年当時、
・韓国の外交権は日本に掌握され
・内政も統監府の影響下に入りつつあった
ため、彼の帰国の可能性は極めて低いものでした。
◾️ 日本側の視線
東京朝日新聞の記事は、
・過度に同情的でもなく
・露骨に批判的でもない
一方で、「運命に翻弄される亡命者」として距離を保った描写をしています。
これは、日本がすでに韓国の運命を左右する立場にあり、亡命者個人の悲劇を「時代の流れの一部」として眺める視線があったことを示します。
◾️ 総括
この記事は、日韓関係が不可逆的に変化していく過程で生まれた「亡命者の孤独」を伝えるものです。
李埈鎔の姿は、
・旧来の朝鮮王朝的秩序の崩壊
・日本の影響力拡大
・個人が政治の大波に呑み込まれていく現実
を象徴しています。
一見すると私的な逸話の記事ですが、その背後には1905年以後の東アジア国際政治の冷酷さが、静かに映し出されています。


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