1906年04月16日 台湾で再び大地震発生

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.78

(1906年4月16日・東京朝日新聞)〈塩水港発〉
 14日夜12時までの調査によると、塩水港庁の管内では
  ・死者 3名
  ・負傷者 15名
  ・家屋全壊 638戸
  ・家屋半壊 397戸
となっている。
 特に被害が最も大きいのは 店仔公(たなここう)支庁 の管内で、
  ・死傷者 13名
  ・家屋全壊 553戸
  ・家屋半壊 349戸
に達している。
 今回、死傷者が意外に少なかったのは、住民があらかじめ十分に警戒していたためであろう。
 これまでの経過から判断すると、今回の地震の震源(震動の中心)は、南勢竹(なんせいちく) 周辺であると思われる。

■ 1906年は台湾で大地震が相次いだ年

 この記事は 1906年4月16日 のものですが、実はその数週間前の 1906年3月17日 に、台湾中部〜南部で 「明治39年台湾地震」(M7.1前後)が発生し、この地震で 1,200名以上が死亡 したと記録されています。
 この記事の「再び大地震」というタイトルは、この 3月の大地震の余震・後続の地震 を受けてのものです。

■ 被害地域:塩水港(現在の台南市付近)

 記事の発信地である「塩水港」は現在の 台南市塩水区 にあたります。1906年の地震ではこの地域の被害が特に大きく、記事の数字(家屋600戸以上全壊)は他史料とも一致しています。「店仔公支庁」は、塩水港周辺の行政区の一つで、日本統治時代の地名です。

■ 死傷が「意外に少ない」と報じられる理由

 3月の大地震で大きな被害が出ていたため、
  ・二次災害への警戒
  ・家の外で寝る
  ・倒壊の危険がある建物に近づかない
など、住民が警戒を強めていたため、この記事では死傷者が相対的に少なかったと分析しています。

■ 震源地:南勢竹(現・南投県竹山付近)

 「南勢竹」は現在の 南投県・竹山(Zhushan)周辺 を指す地名で、1906年の台湾地震でも、震源・震央に近い地域として記録されています。この地域は台湾中央山脈に近く、地震が多い場所として知られています。

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