(1906年6月21日 東京朝日新聞)(19日発・ロイター電報)
ユダヤ人虐殺の実態を調査するため、ビアリストック(現ポーランド北東部)に赴いた国際議会の議員3名(いずれもユダヤ人)の報告によれば、同地で起きた虐殺の惨状は、かつてオデッサで発生したものよりも、さらにひどいものであるという。
同地方では、今後再び虐殺が起こることを恐れ、ユダヤ人が経営する大商店が、急いで他地域へ移転しつつある。
また、ロスチャイルド氏は、今回の虐殺問題について、イギリス外相サー・エドワード・グレーと面会した。
これに対しグレー外相は、下院における質問への答弁で、イギリス政府はユダヤ人虐殺問題について、ロシア政府に対して特段の意見や抗議を表明することはできないと述べ、さらに、この問題を理由として、英国艦隊のクロンシュタット訪問に関する取り決めを変更するよう海軍省に求めるのは時期尚早である、との見解を明らかにした。
◾️ ビアリストック虐殺(1906年)
この記事が伝えているのは、1906年6月にロシア帝国領ビアリストックで発生した反ユダヤ人暴動(ポグロム)です。
・民衆や自警団、時には警察・軍が関与
・ユダヤ人居住区・商店・住居が襲撃
・多数の死傷者・破壊行為
が生じました。
記事が比較対象に挙げるオデッサ虐殺(1905年)も、ロシア革命期を代表する大規模ポグロムであり、それを上回る惨状と報じている点が注目されます。
◾️ ロシア第一革命との関係
1905~1906年のロシア帝国は、
・日露戦争敗北
・皇帝専制への反発
・労働争議・農民反乱
が同時多発する第一次ロシア革命期にありました。
政府や保守派勢力は、
・社会不安のはけ口
・革命運動の分断
として、ユダヤ人を「反体制の元凶」とする反ユダヤ主義を利用・黙認したとされています。
◾️ 国際社会の反応と限界
記事にある、
・国際議会議員の調査
・ロスチャイルド家の働きかけ
は、当時としては異例の国際的関心を示しています。
しかし、イギリス外相グレーの答弁が示す通り、
・内政干渉を避ける外交原則
・ロシアとの関係維持
が優先され、実効的な国際介入は行われませんでした。
これは当時の列強外交の限界を象徴しています。
◾️ ユダヤ人移動とディアスポラの拡大
記事中の「大商店が他所に移動しつつあり」という記述は、
・ユダヤ人の国外・他地域への移住
・西欧・アメリカへの大量移民
の一端を示しています。
この流れは、
・ユダヤ人ディアスポラの拡大
・シオニズム(ユダヤ民族運動)の加速
にもつながっていきます。
◾️ 日本の新聞がこれを報じる意味
東京朝日新聞がこの事件を詳しく伝えているのは、
・国際電報網(ロイター)の発達
・日露戦争後、日本国内でロシア情勢への関心が高かった
ためです。
日本読者にとっても、これは「敗戦後のロシア帝国がいかに混乱しているか」を示す象徴的ニュースでした。
◾️ まとめ
この記事は、
第一次ロシア革命期における反ユダヤ主義暴力の深刻化と、
それに対する国際世論の関心、そして列強外交の限界
を同時に伝える史料です。
20世紀前半に連なるユダヤ人迫害の歴史を理解するうえで、重要な一断面を示していると言えるでしょう。

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