(1907年11月5日・東京朝日新聞)
(4日、京城発)
韓国皇帝は、次のような勅書を発表し、国民の心がどこへ向かっているのかを示した。
今回、日本の皇太子殿下が韓国を訪問されたことは、韓国の歴史始まって以来、かつてなかったほどの盛大な出来事である。韓国の臣民がこれまで抱いていたさまざまな感情も一時に解け、心から皇太子殿下をお迎えする歓声が雷のように響き渡った。このことからも、国民の心が大きく動いたことが分かる。これからは、日本と韓国の両皇室の親しい関係はいっそう深まり、両国の親密な関係も、特別に命令しなくてもますます強固になるだろう。
私は日本皇室の誠意を深く感じている。今後は両国が結びつき、国民の幸福を増やし、国家の制度と将来を安定させたい。国民は、私のこの言葉が心の底から出たものであることを理解し、深く信じてほしい。そして、日本との関係が二度と変わることなく、永遠に続くことを心に刻んでほしい。
写真・図引用:https://www.letao.com.tw/yahoojp/auctions/item.php?aID=l1225695639&utm_source=chatgpt.com
⚫︎ この「皇太子」は後の大正天皇
記事の「東宮」「日本皇太子」は、嘉仁親王(よしひと)です。明治天皇の皇太子で、後の大正天皇。
1907年10月16日に仁川に到着し、20日まで京城に滞在しました。
⚫︎ 「韓国皇帝」は純宗
この記事の「韓國皇帝」は純宗(李坧)です。
ここが非常に重要です。
わずか3か月前の1907年7月まで皇帝だったのは高宗でした。
高宗は、1907年のハーグ密使事件をきっかけに退位させられ、皇太子だった純宗が即位しました。
つまり、この訪問は韓国の政権と皇室が大きく動揺していた直後に行われたのです。
⚫︎ 訪韓の直前、日本の韓国支配は強まっていた
1907年7月、
高宗退位
→純宗即位
→第三次日韓協約
→韓国軍隊解散
という出来事が続きました。
第三次日韓協約によって、韓国政府は重要な法令・行政などについて統監の強い影響を受けるようになります。
さらに軍隊解散をきっかけに、各地で義兵運動が拡大しました。
したがって、この記事の「韓國民の感情氷釋す」という表現を、「韓国人全体が日本を歓迎するようになった」と理解するのは適切ではありません。
⚫︎ なぜ皇太子が韓国を訪問したのか?
この訪韓には、もちろん皇室間の親善という意味もありましたが、政治的な意味も非常に大きかったと考えられています。
当時の韓国統監は伊藤博文です。
ハーグ密使事件、高宗退位、軍隊解散などによって日本への反発が強まる中、日本皇室と韓国皇室の親密さを強調することで、日韓関係を安定させようとした側面がありました。
そのため、この訪問は単なる観光・親善旅行ではなく、皇室外交を利用した政治的な意味を持つ訪問だったと見ることができます。
⚫︎ 「韓国民は大歓迎」は慎重に読む
記事は、「誠心奉迎の歡聲雷の如く」、つまり、「韓国民が心から皇太子を歓迎し、歓声が雷のように響いた」と報じています。
しかし同じ時期には、日本軍と義兵との戦闘が続いていました。
したがって、この文章は、「1907年当時の韓国社会のすべての人々が日本を歓迎していた」という客観的事実というより、日本側の新聞が皇太子訪韓を「日韓融和」の出来事として描いたものと考えるのが適切です。
⚫︎ まとめ
この記事のポイントは4つです。
① 皇太子嘉仁親王が韓国を訪問
② 純宗皇帝が歓迎の勅書を発表
③ しかし背景は非常に緊張していた
④ 「日韓融和」の演出という側面
したがってこの記事は、単なる皇室ニュースではなく、日本が韓国への影響力を強めていく中で、「日韓親善」というイメージを作り出そうとした時期の新聞報道として読むと興味深い史料です。
そして、この3年後の1910年に韓国併合が行われます。

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