(1908(明治41)年2月22日、『時事新報』)〔ワシントン2月20日時電〕
アメリカは、満洲の門戸開放を維持するためには、ついには武力に訴えることもあるだろう、との説について、当地の新聞は盛んに論評を加えている。しかし、私が信頼できる筋から聞いたところによれば、この説はまったく根拠のないものであるという。
ただし、ある高官の話によれば、アメリカ国務省は昨年の夏、1900年協約(ヘイ氏の門戸開放協約)の参加国から、さらに保証を得ようとしたことがあったという。
写真・図引用:https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1899/d88?utm_source=chatgpt.com
◾️「門戸開放」とは
記事中の「ヘイ氏」は、アメリカ国務長官ジョン・ヘイ(John Hay)です。
ヘイは1899年、列強に対して中国市場における通商上の機会均等を求める「門戸開放」通牒を送り、1900年にはさらに中国の領土・行政上の一体性を尊重する趣旨を加えた通牒を発しました。アメリカ国務省の外交史資料も、門戸開放政策が1899~1900年の一連の外交文書によって示されたことを説明しています。
ただし、この記事が「千九百年協約」「ヘイ氏の門戸開放協約」と呼んでいるものは、厳密には各国が署名した正式な国際条約ではありません。
ヘイの通牒に各国が回答し、アメリカ政府がそれを門戸開放原則への同意と解釈したものでした。アメリカ国務省の解説でも、1900年の通牒は法的拘束力を持つ正式な協定ではなかったとされています。
◾️なぜ1908年に満洲の門戸開放が問題になったのか
日露戦争後、日本はポーツマス条約によって、ロシアから南満洲鉄道などの権益を引き継ぎました。
その後、アメリカをはじめとする外国側では、日本が満洲で鉄道・通信・商業上の優位を強めることによって、名目上の「門戸開放」が実質的には狭められているのではないかという懸念が生じました。
1908年2月20日付のアメリカ新聞も、日本が満洲で鉄道や電信施設への強い影響力を持ち、それが日本商人に有利に作用しているとの批判を紹介しています。一方で、アメリカ政府関係者の見方として、日本の行動が直ちに門戸開放原則への違反になるわけではないとも報じています。
この記事は、そうした緊張の中で、
「アメリカは門戸開放を守るため、日本などに対して武力まで用いるのではないか」
という噂が流れていたことを伝えています。
◾️この記事の重要な点
この記事自体は、その「武力行使説」を否定しています。しかし同時に、
「アメリカ国務省が前年夏、1900年の門戸開放原則について参加諸国から「さらに保証」を得ようとした」
との高官談を紹介しています。
つまり、記事の中心は「米国が満洲問題で開戦を考えている」という話ではなく、むしろ、門戸開放政策には十分な拘束力がないため、アメリカがそれをより確かな国際的保証へ発展させようとしていた可能性を伝えるところにあります。
これは当時のアメリカ側の議論とも符合します。1908年の米紙には、ヘイの門戸開放政策には、その維持を保証する正式な国際協定が存在しないとの説明も掲載されていました。
◾️ まとめ
この記事は、日露戦争後の満洲をめぐる日米間の経済・外交上の緊張を示す短い外電記事です。
当時アメリカでは、日本が満洲で鉄道・通信・商業上の優位を強めることに対し、「門戸開放」が実質的に維持されているのかという議論が起きていました。
その中で「アメリカは門戸開放を守るため武力を使う可能性がある」との説まで現れましたが、本記事は信頼できる筋の情報として、これを「全然無根」と否定しています。
一方、アメリカ国務省が前年、門戸開放原則について参加国からさらに強い保証を得ようとしていたとの情報も紹介しています。
したがってこの記事は、1908年の日米関係を単純な「開戦危機」として伝えたものではなく、アメリカが満洲における機会均等をどのような外交的仕組みで維持するのかが問題になっていたことを示す史料として読むことができます。
この後、アメリカは1908年11月に日本との間で高平・ルート協定を結び、中国における門戸開放と機会均等、太平洋地域の現状維持などを確認することになります。


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