社会・世相

1905年

1905年10月06日 横浜のチヤブ屋

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.501〔明治38年10月6日、東京朝日新聞〕日露戦争の影響で、昨年(明治37年)2月以来、横浜港には各国の軍艦が寄港しな...
1905年

1905年10月03日 太平洋に海底電線を増設

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.500〔明治38年10月3日、東京朝日新聞〕(長崎発)アメリカの 太平洋商業海底電信会社 は、マニラとアメリカ本土を結ん...
1905年

1905年09月27日 警視庁廃止問題

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.497(9月27日、東京朝日新聞〕警視庁を廃止すべきだという主張は、近ごろますます高まりつつあり、今年の東京府会や帝国議...
1905年

1905年09月15日 小村と小柳 講和成立 屈辱か成功か

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.495(1905年9月15日、大阪朝日新聞)日本の全権代表・小村寿太郎(外相)と、東京烏森の芸者・小柳(本名・杉浦きさ、...
1905年

1905年09日04日 関東州民政長官室、血に染まる― 山縣の愛妾、後妻に迎えたという話は本当か

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.481[1905年09月4日 満州朝日新聞「机の塵」より】△関東州民政庁は修繕工事が終わり、8月24日にそこへ移転した。...
1905年

1905年09月03日 屈辱講和と聞いて、人々が集まった

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷【1905年09月03日 大阪朝日新聞】遺族平和になること自体はありがたいですが、賠償金は取れず、樺太も半分しか取れなかったな...
1905年

1905年09月02日 やりきれない悲しみと怒り

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷1905年09月02日 報知新聞国民は黙っていられない国民の声▲ちくしょう、ちくしょう、なんというザマだ、なんという失態だ。世...