(1906年12月12日 東京朝日新聞)
鴨緑江および豆満江流域の森林は、韓国国境地帯における最も豊かな資源であると認められたため、日本と韓国の両政府は、その経営について次の条項を定めた。
第一条
鴨緑江および豆満江の森林は、日本政府と韓国政府の共同経営とする。
第二条
両国政府は、経営資本を120万円と定め、日本・韓国がそれぞれ60万円ずつ出資するものとする。
(以下略)
明治39年10月19日
大日本統監侯爵 伊藤博文
光武10年10月19日
大韓帝国 議政府参政大臣 斉純
度支部大臣 関泳綺
農商工部大臣 権軍顕
この記事は、日本の対韓保護国支配が、政治・外交から経済資源の直接管理へと進展したことを示す重要な史料です。
◾️ 鴨緑江・豆満江流域の重要性
鴨緑江(現在の中朝国境)および豆満江(現在の露・中・朝国境付近)流域は、
- 広大な原生林を有する
- 建築材・鉄道用枕木・坑木として有望
- 国境防衛・交通路確保の戦略的重要地域
という理由から、日露戦争後、日本が特に注目した地域でした。
◾️ 「共同経営」の実態
条文上は「日韓両政府の協同経営」とされていますが、実際には、
- 韓国は外交権を失った保護国
- 協約締結は伊藤博文統監の主導
- 実務・技術・経営は日本側が掌握
という構図であり、形式的な共同にすぎなかったと評価されています。
◾️ 利源開発と植民地経営の初期形態
この協約は、
- 鉄道(南満州鉄道)
- 港湾
- 鉱山
- 森林
といった、植民地経営に不可欠な基礎資源の体系的確保の一環でした。
森林資源は、
- 満洲・朝鮮の鉄道敷設
- 軍需物資
- 建設資材
に直結するため、日本にとって極めて戦略的価値がありました。
◾️ 韓国側署名者の意味
署名者には、
- 斉純
- 関泳綺
- 権軍顕
といった、日本の政策に協力的とされた高官が名を連ねています。
これは、前記事の李址鎔の親書捧呈と同様、統監府体制下で選別された官僚による協約締結であることを示しています。
◾️ 1906年という時期の意味
1906年は、
- 統監府設置(1905年)直後
- 日本の対韓支配が「制度化・経済化」へ進む転換点
でした。
この森林協約は、後の土地調査事業や会社経営(国策会社)へと連なる、経済的植民地化の先駆例と位置づけられます。
◾️ 総括
この記事は、
- 韓国の主権が形式上残る中で
- 国境地帯の重要資源が条約によって日本の管理下に置かれた
ことを示す史料です。
「共同経営」「利源開発」という穏やかな言葉の背後に、保護国支配から植民地経済支配へ移行していく実態が読み取れる点で、非常に象徴的な記事と言えるでしょう。

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