(1906年2月16日、東京朝日新聞)
韓国統監府では、すでに服制(制服)を定め、統監および職員が帯剣することとなっているが、さらに新たに「統監旗(とうかんき)」を次のように制定した。統監が韓国に滞在している間は、その官庁の旗竿(ポール)にこの旗を掲げることとする。また、韓国の領海において、統監が乗船している船舶にもこの統監旗を掲げることができるものとする。
【統監旗の仕様】
• 地色(背景):旗の4分の3を青色、4分の1を白色とする。
• 日章(太陽の赤丸):紅色。
• 比率:横=縦の1と2分の1(縦横比=1:1.5)。
• 日章の位置:旗の白い部分の中央に置く。
• 日章の直径:旗の縦の3分の2。
「統監旗」とは何か
「統監旗(とうかんき)」とは、韓国統監府(かんこくとうかんふ)の長である統監の権威を象徴する公式旗です。統監府は、日露戦争(1904–05)後の第二次日韓協約(1905年11月)によって設置された、日本が大韓帝国の外交・内政を実質的に監督する統治機関でした。
初代統監には、元老であり元首相の伊藤博文が任命され、韓国(当時の京城=現在のソウル)に赴任することとなります。この記事は、統監府の制度整備の一環として、伊藤博文の赴任(1906年3月)を目前に、統監の象徴旗が制定されたことを伝えています。
統監府の設置とその意味
▪ 背景
• 1905年11月17日:第二次日韓協約(乙巳条約)締結
→ 日本が韓国の外交権を掌握
→ 京城(ソウル)に統監府を設置
• 初代統監:伊藤博文(就任発表は1906年2月)
• 初代副統監:林権助(外務官僚)
▪ 統監府の性格
統監府は、表面上は「韓国政府を保護し、改革を助ける」ことを目的としていましたが、実質的には日本が韓国を保護国化し、支配体制を整える中枢機関でした。統監旗の制定は、日本の「代表権力」としての統監の地位を、象徴的に明確化する儀礼的措置です。
統監旗の意匠の意味
記事に示された旗のデザイン(比率と色)から判断すると、この「統監旗」は次のような構図を持っていたと考えられます。
• 青色地が3/4、白地が1/4:日章旗とは異なる、独自の統監旗。
• 白地の部分に紅い日章(太陽)が配置される。
• 統監が韓国で掲げる旗として、日本の国旗とは区別しつつ、日本の権威を示す意匠。
つまり、「日本の統治権を象徴するが、韓国の地における特別な地位を示す旗」という性格を持っていました。このデザインは、後の朝鮮総督府旗(1910年以降)の制定にもつながる「統治機関の旗章制度」の前例といえます。
統監府の権限をめぐる状況(1906年初頭)
1906年初頭の時点では、統監府はまだ正式に開庁したばかりであり、(2月1日、長谷川好道が代理として開務式を実施)伊藤博文本人はまだ日本にいました。
• 伊藤は3月に韓国入り予定。
• それに合わせて「制服」「旗章」「儀礼」を急いで整備していた段階。
この記事の「統監旗制定」は、その統監府体制確立の象徴的なステップといえます。
歴史的意義
項目 内容
制定日 1906年2月中旬
機関 韓国統監府
統監 伊藤博文(初代)
性格 統監の地位・権限を象徴する公式旗
用途 統監府庁舎・統監乗船時の掲揚
歴史的意義 日本の保護国支配の象徴的制度整備の一環
この旗は、のちの「朝鮮総督府旗」(1910年)、「関東都督府旗」(関東州)など、日本の植民地統治機関における「長官旗」制度の先駆けとも位置づけられます。


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