1906年07月10日 英国支那艦隊司令長官ムーア中将、来日してただちに参内

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.115

(1906年7月10日 東京朝日新聞)
ムーア中将来日
 市民が到着を待ち望んでいた英国支那艦隊司令長官ムーア中将が、予定どおり9日午前9時29分、来京した。ムーア中将は、幕僚5名を伴い、軍艦「キング・アルフレッド」「ケント」「マンモス」の各艦長、および将校10名とともに、新橋停車場に到着した。
 なお、「ダイヤデム」艦長については、艦隊の都合により、この日の上京を見合わせたという。
 (以下略)

◾️ 「英国支那艦隊」とは何か

 英国支那艦隊(China Station)とは、
  ・中国沿岸
  ・日本近海
  ・東アジア一帯
を管轄した、イギリス海軍の極東方面艦隊です。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、
  ・中国市場の保護
  ・通商路の安全確保
  ・列強間の勢力均衡
を目的として、英国は強力な艦隊をこの地域に常駐させていました。

◾️ ムーア中将とは

 記事のムーア中将(Sir Arthur Moore)は、
  ・英国海軍の有力将官
  ・当時の支那艦隊司令長官
であり、極東における英国の軍事的代表者でした。

 彼の来日は、単なる親善訪問ではなく、英日関係を象徴する重要な外交・軍事イベントでした。

◾️ なぜ1906年に来日したのか

 1906年という時期は、国際情勢上きわめて重要です。
  ・1904〜1905年:日露戦争
  ・日本の勝利により、東アジアの勢力図が激変
  ・日本は列強の一員として認知され始める

 とくに英国は、
  ・1902年:日英同盟締結
  ・1905年:同盟の実質的成功を確認
した立場にありました。

 ムーア中将の訪日は、
  ・日英同盟の強固さを内外に示す
  ・英国が日本を正式なパートナーとして扱っていることを示す
  ・極東の安全保障を日英で分担する意思表明
という意味を持っていました。

◾️ 「入京して直に参内」の意味

 見出しにある「直に参内」は重要な表現です。
 これは、
  ・来日後すぐに天皇に拝謁する
  ・形式的訪問ではなく、国家的待遇を受ける
ことを意味します。

 外国の軍司令官が即座に参内することは、
  ・日本が英国を「同格の大国」として扱う
  ・英国もまた日本を重要視している
という相互承認の象徴的行為でした。

◾️ 新橋停車場での出迎え

 新橋停車場は当時、
  ・東京の玄関口
  ・外国要人到着の公式舞台
でした。

 新聞が、
  ・到着時刻を分単位で記す
  ・同行した艦長・将校の人数を詳述する
のは、
  ・軍事的威信の誇示
  ・市民への視覚的アピール
を強く意識しているためです。

◾️ 市民が「待ちに待った」理由

 記事冒頭の市民が待ちに待ちたるという表現からは、
  ・日露戦争後の国民的高揚感
  ・英国との同盟に対する安心感
  ・列強と肩を並べたという自負
が読み取れます。

 ムーア中将の来日は、「日本はもはや孤立した新興国ではない」という意識を、一般市民にまで浸透させる役割を果たしました。

◾️ 総括

 この記事は単なる来日報道ではなく、日露戦争後、日本が列強の中核に迎え入れられ、英国と並ぶ極東秩序の担い手となったことを象徴する出来事を伝えています。
 ムーア中将の入京と参内は、日英同盟の成熟と、日本の国際的地位上昇を可視化した一場面として位置づけられます。

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