宮禁令の内容
(1906年7月9日 東京朝日新聞)(8日・京城発)
既報のとおり、宮禁令(きゅうきんれい)は、すでに宮内大臣・李載克(イ・ジェグク)から上奏され、皇帝の裁可を求めたという。その内容は次のとおりである。
1.宮廷への出入り(常禁)は、宮内大臣の監督に属するものとし、宮殿については侍従院卿が、宮中内部については主殿院長が、それぞれ監督にあたる。
2.宮中および宮門の出入りには、門票(通行証)を使用する。
3.宮殿用の門票は、侍従、陪従武官、そのほか宮殿内で職務を担う者、および各官庁の長官に限って交付する。
(以下略)
◾️ 「宮中粛清案」とは何か
この記事が伝える「宮中粛清案」とは、大韓帝国皇宮における
・無秩序な出入り
・官僚・側近の不正関与
・皇帝周辺への不穏分子の接近
を排除するための、宮廷統制強化策です。
その中心が、この「宮禁令」でした。
◾️ 宮禁令の狙い
宮禁令の核心は、
・宮廷の出入りを完全に管理する
・皇帝周辺への接触を制度的に制限する
・宮中権力を宮内大臣の指揮下に集中させる
という点にあります。
特に
・門票(通行証)制度の導入
・出入り可能者を厳格に限定
する点は、近代的官庁制度というよりも、非常措置的な「治安・粛清政策」の色合いが強いものでした。
◾️ なぜ1906年に宮中粛清なのか
1906年は、大韓帝国にとって極度の危機の年でした。
・1905年:乙巳条約により外交権を喪失
・1906年:統監府設置、日本の実質支配が進行
・皇帝高宗の発言力・実権は著しく制限
こうした状況下で、
・宮廷内部には親日派・反日派・保守派が混在
・情報漏洩・密告・謀議の噂が頻発
・皇帝の安全や権威への不安が高まる
結果、宮中の統制強化=粛清策が必要と判断されたのです。
◾️ 宮内大臣・李載克の役割
李載克(イ・ジェグク)は、当時の宮内府を統括する要職で、
・宮廷の秩序維持
・皇室財産・儀礼の管理
・皇帝側近の統制
を担っていました。
彼が宮禁令を上奏したことは、
・皇帝に代わって宮中整理を断行する
・宮廷内の派閥抗争を抑える
・日本側(統監府)に「秩序回復」を示す
という、内外両面への政治的配慮を意味します。
◾️ 日本新聞の報道姿勢
東京朝日新聞がこの件を報じる背景には、
・韓国宮廷が「粛清を要するほど混乱している」
・皇帝権力が制度的統制に頼らざるを得ない
・自立的統治能力が弱体化している
という印象を、日本国内の読者に与える意図がありました。
これは、日本の保護統治は「秩序回復」のために必要であるという当時の世論形成とも合致しています。
◾️ 総括
この記事は、主権を失いつつある大韓帝国が、皇帝の身辺と宮廷秩序を守るために、最後の統制策として宮中粛清を図ったという歴史的局面を伝えています。
形式上は「制度整備」ですが、実態は権威失墜と不安の中で行われた非常措置であり、大韓帝国末期政治の緊張感をよく示す史料と言えます。

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