(1906年4月21日、東京朝日新聞)(20日・ロイター電報)
サンフランシスコの地震は、昨日朝5時に発生し、揺れは3分間続いた。市民は皆、寝間着のまま屋外へ飛び出した。最も被害が大きかったのは、市の北東部にある製造業者や卸売商が多く住む地区であるが、被害は軽重の差こそあれ、サンフランシスコ全域に及んだ。
死者は約100名、負傷者は約1000名と見込まれている。
各方面で激しい火の手が上がり、一時は全市が火炎に包まれるほどであった。ガス管や水道が破壊され、さらに風も吹いたため、消火はきわめて困難となり、消防はやむなく各所の家屋を破壊して延焼を防いだ。
人々は恐怖におののき、街は混乱の極みに達したが、特に5階建てのヴァレンシアホテル(Valencia Hotel)が倒壊した際の惨状はすさまじく、その周囲75戸の家屋は下敷きとなり、さらに80軒ほどが猛烈な火炎に包まれて燃え上がり、みるみる焼失した。
地震は西海岸だけでなく、アメリカ東部諸州にも揺れが伝わり、ワシントンの地震計も大きな反応を記録した。
■ この記事が伝える出来事
これは1906年 サンフランシスコ地震(San Francisco Earthquake)の初報である。近代アメリカ最大の自然災害の一つとして知られ、4月18日午前5時12分に発生した。
・規模:M7.8〜8.0
・震源:サンアンドレアス断層
・揺れ:最大1分弱(記事では3分と伝えているが誤報)
揺れ自体よりも、ガス管の破裂による大火災(3日間続く)で市街の大半(約80%)が焼失した。
■ 死傷者数について
この記事の「死者100名、負傷者1000名」は初期報道での大幅な過少推定である。その後の調査で公式死者数は約700名とされたが、近年の研究では3000人以上が死亡したと推定されている。
■ ヴァレンシアホテル倒壊
記事が強調する Valencia Hotel(ヴァレンシア旅館) は実際に巨大な倒壊事故を起こし、多数の犠牲者が出た。
・地盤が軟弱(埋立地)
・5階建ての重量が液状化で支えられなかった
という理由で、象徴的な被害として世界中に報じられた。
■ 日本ではなぜ大きく報じられたのか?
- 日本人移民が多く住む都市だった
サンフランシスコは当時、日本人移民の最大拠点であり、被害状況は強く関心を集めた。 - 地震国日本にとって大地震は重大ニュース
明治期の新聞は海外地震を頻繁に大きく扱っていた。 - 日米関係が緊張し始める時期
1905年の日露戦争後、日本人移民問題で日米摩擦が強まっており、米国情勢への注目が高かった。
■ まとめ
この新聞記事は、1906年サンフランシスコ大地震の 発生直後の速報であり、被害状況がまだ不明確な段階のニュースである。後年判明した実際の惨状は、この記事の比ではなく、アメリカ史上最大級の都市壊滅災害となった。

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