(1906年4月1日・国民新聞)
東京の塩問屋組合長である安部林右衛門氏は、今年1月に満洲の塩業調査のため現地視察に出かけ、先月中旬に帰京した。その後、3月5日付で関東州民政署から塩田(塩を作るための塩場)開設の許可を受けたことにより、このたび 資本金150万円の株式会社「満韓塩業会社」を設立することを決定し、近日中に発表する予定である。
製塩地は、まず貔子窩(ひしが)、普蘭店(ふらんてん)、五島(うとう)およびその付近とし、その総面積は約6700町歩(およそ6700ヘクタール)に及ぶ。開墾・設備工事は 5年間で完成させる計画で、さらにその後も増設・拡張する見込みだという。
■ 時代背景:日露戦争直後の「満洲経営」
この記事が書かれた1906年は、日露戦争(1904〜1905)が終わった直後です。日本は ポーツマス条約 によって、
・遼東半島南部(関東州)の租借権
・南満洲鉄道(旧ロシアの東清鉄道の一部)
・南満洲における鉱山・工場などの経済権益
などを獲得し、満洲経営を急速に進めていた時期です。
そのため、多くの日本企業が「満洲に進出して事業を行う」動きを強めていました。今回の記事の「満韓塩業会社」も、その一環にあたります。
■ 塩は当時の「国家的戦略物資」
現在とは異なり、明治期の日本にとって 塩は重要な産業資源であり、政府の専売品 でした。
・食料保存(漬物・魚の加工)
・工業原料(化学工業の基礎)
・兵站物資(軍への供給)
など、非常に需要が高かったのです。日清・日露戦争を経て軍需が増大し、日本国内の塩生産だけでは不足気味でした。そのため 海外に塩田を作って、安定した供給源を確保する ことが目指されました。
■ 記事に出てくる地名の背景
記事に書かれた地名は、いずれも 遼東半島南部(関東州)やその周辺の沿岸地域 です。
・貔子窩(ひしが)
・普蘭店(ふらんてん)
・五島(うとう)
いずれも海沿いにあり、広大な塩田を作りやすい土地でした。(現在の中国遼寧省大連市付近)
■ 資本金150万円の意味
150万円は当時としては大企業規模です。
・現在価値に換算すると 数百億円規模 と評価される場合もある大資本
したがって、日本は 本格的な大型塩田開発プロジェクト を立ち上げた形になります。
■ 「満韓」の意味
社名の「満韓」は
・満洲(中国東北部)
・韓(朝鮮半島)
を合わせた言葉で、日本企業がこの地域を一体として経済開発地域と見なしていたことがうかがえます。当時の日本は朝鮮半島にも強い政治的影響力を持っており、1905年の「第二次日韓協約」で韓国を保護国化していました。
<まとめ>
この記事は、日露戦争後の日本が、満洲に巨大な製塩事業を展開しようとしているというニュースです。
・日本の満洲進出の典型例
・戦後経済権益の拡大
・塩という国家的重要物資の確保
・巨額の資本金による大型プロジェクト
など、当時の東アジア情勢・経済政策を反映した記事でした。


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