1908年01月25日 東京都制案提出

1908年

(1908年1月25日、東京朝日新聞)
 貴族院議員から東京都制案が提出された。この案では、東京市について、現在の東京府の中に東京市を置くという従来の制度を改め、東京市と東京府を一体化して「東京都」という新しい自治体をつくろうとしている。その主な内容は、おおむね次のようなものである。
 第一に、東京都会の権限を定めること。
 第二に、都参事会の権限に属する事項について、緊急に処理する必要がある場合などの取り扱いを定めること。
 第三に、都長官から東京都会に提出する議案について、都参事会が意見を述べること。
 第四に、東京都会が議決した事項を執行すること。
 第五に、都の財政・歳入歳出などに関する重要事項を議決すること。
 第六に、都に関係する法令によって定められた事項を処理すること。

 さらに、従来の東京府知事による監督をなくし、東京都を内務大臣が直接監督する制度とする。これによって、東京府と東京市の間にあった二重の行政機構を整理し、行政を簡素化・迅速化しようとするものである。また、東京市が東京都として独立することによって、これまで東京府の郡部に属していた地域については、これを「千代田県」として独立させる案も同時に提出された。
 ただし、東京都と千代田県との間には、これまで東京市と郡部が共同で行ってきた事業があるため、それらについては今後も共同して処理する必要がある。そのため、両者の共同事業を処理するための「東京都千代田県組合」を設置する案も併せて提出された。
 このように、東京都と千代田県を別々の自治体としながらも、両者の間には密接な関係を残すことが計画されていた。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/209

写真・図引用:https://www.ndl.go.jp/portrait/e/datas/384/?utm_source=chatgpt.com

この法案の最大のポイントは、「東京府の中に東京市がある」という二重構造をなくそうとしたことです。

当時、東京は「東京府」と「東京市」が並存していました。東京市は府の中で圧倒的に人口・行政量が大きかったにもかかわらず、東京市を東京府知事が監督し、その上に内務大臣の監督もあるという二重の監督体制でした。

法案提出者の一人である一木喜徳郎は、これでは行政機関同士の衝突や事務の重複が生じるとして、東京府と東京市を一体化し、内務大臣が直接監督する「東京都」にする必要があると説明しています。また、市参事会が行政そのものを担う仕組みも、大都市東京には適さないと論じました。

その一方で、東京市域以外の東京府郡部をどうするかという問題が生じました。そこで、郡部を千代田県として独立させ、東京都との共同事業については「東京都千代田県組合」で処理する構想が採られました。法案では、東京府を廃止し、その郡部を千代田県とすることが明記されています。

この構想は、この時点で突然出てきたものではありません。一木は、東京都制案が過去にも貴族院で議論されており、東京市制の改革が長年の課題だったと説明しています。

なお、現在の「東京都制」が成立するのは1943年であり、この1908年案がそのまま実現したわけではありません。

⚫︎ まとめ

この記事は、現在の東京都につながる「東京の特別自治制度」を明治期に構想した重要な史料です。

構想の核心は、

東京府+東京市

「東京都」に一体化

するとともに、

東京府郡部

「千代田県」

として分離することでした。

さらに、東京都と千代田県の共同事業を処理するため「東京都千代田県組合」を設けるという、かなり具体的な行政再編案でした。

重要なのは、これは単なる名称変更ではなく、大都市東京に一般の市制・府県制とは異なる特別な行政制度を設けようとした試みだったことです。

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