1906年10月06日 誣告罪・誹毀罪の廃止

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.150

(1906年10月6日 東京日日新聞)
 現行の刑法では、人の名誉を害する行為を防止する目的で、七か条から成る「誣告罪および誹毀罪」を規定している。しかし、この規定はほとんど名目だけのもので、実際にはほとんど機能していない。また、これらの罪を裁判で適用しようとしても、事実関係の審理がきわめて困難であり、そのため多くの裁判官が、どのように適用すべきかについて迷う事態が、これまでに何度も生じてきた。
 このため、法曹界では、これらの規定を削除すべきだと主張する者が少なくなかったが、今回、刑法調査会において、右の規定を廃止することがほぼ決定されたという。

この記事は、明治期日本の刑法体系の再検討と、近代的法制度への調整過程を背景としています。

◾️ 誣告(ぶこく)罪・誹毀(ひき)罪とは何か

 明治40年前後の刑法には、
  ・誣告罪:他人を陥れる目的で、虚偽の犯罪事実を告げる行為
  ・誹毀罪:事実・虚偽を問わず、他人の名誉を害する行為
を細かく規定した条文群が存在しました。

 これは、近代国家として「個人の名誉」を法によって守ろうとする意図から設けられたものです。
 しかし実際には、
  ・どこまでが虚偽か
  ・公的批判や告発との線引き
  ・名誉毀損罪との重複
などが曖昧で、実務上きわめて使いにくい規定でした。

◾️ 「有名無実」と批判された理由

 記事が指摘する通り、誣告罪・誹毀罪は
  ・立証が困難
  ・裁判官の判断に大きなばらつきが出る
  ・適用すると言論・批判を過度に萎縮させかねない
という問題を抱えていました。

 その結果、条文は存在していても、実際の裁判ではほとんど使われず、「有名無実」と評されていたのです。

◾️ 刑法調査会と法改正の流れ

 当時の日本では、1890年施行の旧刑法を見直し、より実態に即した近代刑法へ改正する作業が進められていました。
 刑法調査会は、
  ・実務に合わない条文の整理
  ・西欧諸国の刑法との比較
  ・過度に道徳的・抑圧的な規定の削減
を目的として設けられた機関です。

 この記事は、その検討の一環として、誣告罪・誹毀罪が整理・廃止の対象になったことを伝えています。

◾️ 言論と法の関係

 この廃止決定は、
  ・国家が「名誉」を守る範囲を見直し
  ・言論・批評・告発の自由を、一定程度確保しようとした動き
としても評価できます。

 一方で、名誉毀損そのものが自由化されたわけではなく、以後は 名誉毀損罪・侮辱罪など、より整理された条文によって対処する方向へ移行していきました。

◾️ まとめ

 この記事は、
  ・明治日本が「法を作る段階」から「法を運用・洗練する段階」へ移行していたこと
  ・近代国家として、刑罰による道徳統制を見直し始めたこと
を示す史料です。

 政治・外交だけでなく、法制度の内側でも近代化が進んでいたことが、端的に表れています。

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