1907年01月26日 財界の反動が深刻化――東株が大崩落 紡績株は二、三十円安、米穀・商品株は三、四十円安 東株は当日・中日・一日で百円もの急落

1907年

(1907年1月26日 中外商業新報)
 二十五日の東京株式市場では、本場(立会所)で株価が大きく崩落した。先ごろの株式暴落は、その勢いこそ激しかったものの、ここ数週間続いてきた高騰の反動としては、なお下げ足りないのではないかという見方もあった。
 もっとも、高値を好む投機的な市場であるため、下落局面でも高値派の買いがぽつぽつと現れ、また目先の利を狙う投資家の利益確定によって、一時的に小幅な戻りを見せた。しかし、日を追うごとに経験豊富な玄人筋は巧みに売り抜けており、下がるべき相場はもはや支えきれなかった。
 朝から市場の雰囲気は冴えず、午前中(入山採炭株まで)は全体に一、二円安で終えた。一時間の休憩後、後場の立会が始まると、大阪市場で諸株が崩落したとの報が伝わり、相場の形勢は一変した。
 紡績株が二、三十円安となったのを皮切りに、米穀や商品株も三、四十円安となり、いずれの銘柄も下表の通り大幅な下落を演じた。とりわけ東株は、取引所法改正をめぐる警戒感からもともと上値が重かったところへ売りが集中し、額面百円の株が百三円まで下落、先物では八十六円前後まで大崩落した。新株も五、六十円前後まで値を崩し、市場はきわめて不況のうちに取引を終えた。
(表略)

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/125

写真・図引用:

◾️ 日露戦争後の「反動不況」

1905年の日露戦争終結後、日本経済は一時的な戦後景気に沸きましたが、1906年後半から1907年にかけて、
過剰投資・信用収縮・投機熱の反動が一気に表面化しました。
この記事は、まさにその戦後恐慌(1907年恐慌)の渦中を伝えています。

◾️ 「東株」とは何か

ここでいう「東株」とは、東京株式市場の中心銘柄・代表的株式を指す当時の通称です。
特定企業というより、「東京市場を象徴する株価水準」を意味しており、
それが一日で百円も下落したという表現は、市場心理の崩壊を強調しています。

◾️ 紡績・米穀株の同時下落の意味

  • 紡績業:日本最大の輸出産業だが、綿糸価格下落で業績悪化
  • 米穀・商品株:生活必需品ゆえに「安全資産」と見なされがちだった

これらが同時に暴落したことは、一部業界の問題ではなく、財界全体の反動局面であったことを示します。

◾️ まとめ

  • 本記事は、1907年恐慌期における東京株式市場の全面崩落を克明に描いている
  • 小幅な戻りはあったが、玄人筋の売り抜けによって下落は止まらなかった
  • 紡績・米穀・商品といった基幹分野が同時に急落し、財界全体の反動が深刻化
  • 明治日本の資本主義が、本格的な景気循環と市場崩壊を経験する段階に入ったことを示す重要史料である

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