(1907〈明治40〉年7月19日午前1時 京城特派員発)
排日派の韓国人たちも数千人規模で大漢門(徳寿宮正門)付近に集まり、夜が更けるにつれて情勢は次第に不穏になってきた。午後10時ごろからは、キリスト教青年会(YMCA)の会員たちが大漢門前の広場で激しい街頭演説を行い、群衆の数も次第に増え続けている。
写真・図引用:https://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001505745&utm_source=chatgpt.com
◾️ 高宗退位直前の緊迫した京城
この記事は1907年7月19日未明の報道です。
この時、韓国(大韓帝国)では、前回の記事にあった「海牙密使事件」の責任問題をめぐり、日本統監府と韓国政府が高宗皇帝に退位を求めていました。
わずか数時間後の7月19日早朝、高宗は退位詔書に署名し、皇太子(純宗)へ譲位することになります。
つまりこの記事は、「高宗退位直前の京城市内の様子」を伝える極めて重要な現地報告です。
◾️ 大漢門とは
徳寿宮 の正門が大漢門です。
当時の徳寿宮は高宗の居所であり、政治の中心でした。
そのため、
- 皇帝退位問題
- 日本との関係
- 内閣の動向
などをめぐり、宮殿周辺には多くの群衆が集まっていました。
現在でいえば、「大統領官邸前で大規模な政治集会が開かれている」ような状況です。
◾️ YMCAと韓国ナショナリズム
記事に登場する「基督教青年会」は、YMCAです。
当時の韓国では、プロテスタント系キリスト教が急速に広まりつつありました。
YMCAは単なる宗教団体ではなく、
- 近代教育
- 青年運動
- 愛国啓蒙運動
の拠点にもなっていました。
そのため、
- 独立協会系知識人
- 改革派青年
- 民族運動家
が集まる場所となり、日本への反発を表明する演説会もしばしば開かれました。
◾️ 「排日派」の実態
日本側新聞は「排日派」と表現していますが、実際には一枚岩ではありません。
当時の反日勢力には、
保守派:皇帝権力維持を望む勢力
義兵(義兵闘争):武装抵抗派
愛国啓蒙派:近代化による独立維持を目指す知識人
キリスト教系青年:民族自立を主張する若者
などが含まれていました。
彼らが共通して反対したのは、1905年の第二次日韓協約によって外交権を失った状態でした。
◾️ 群衆集会が意味したもの
この時点で日本側は、
- 高宗退位
- 韓国政府改編
- 軍隊整理
を進めようとしていました。
これに対して京城市民の間には
- 皇帝擁護
- 反日感情
- 将来への不安
が急速に広がっていました。
実際、この直後には第三次日韓協約が締結され、さらに韓国軍解散へと進みます。
その結果、義兵運動が全国的に激化していきます。
この記事は、その前夜の空気を伝える資料と言えます。
◾️ まとめ
この記事はわずか数行ですが、非常に重要な歴史的瞬間を記録しています。
ポイントは、
- 高宗退位直前の京城の緊張状態
- 徳寿宮前への数千人規模の集結
- YMCA青年による反日・護皇帝的演説
- 日本統監府と韓国世論の対立の深まり
です。
翌19日に高宗は退位し、その後の韓国社会は急速に不安定化していきます。
この記事はまさに「大韓帝国最後の政治危機の現場報告」といえる史料です。

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