(1905年9月6日、日本新聞)
警察の力がまったく及ばない「無政府状態」である。
交番を焼き討ちする動きは、もはや止まるところを知らない。日比谷から芝、京橋、日本橋へと広がり、昼の12時ごろにはすでに神田に及び、さらに勢いを増して止まらなかった。そして今朝2時ごろには深川・本所にまで広がり、市内13か所で火の手が上がるのを見るに至った。これこそ「無政府」の異様な有様である。ああ、これは一体誰の責任であろうか。
白昼に群衆が白旗を掲げて大臣官邸に乱入するだけでも驚くべきことである。さらに火を放ったのは、なお一層驚くべきことだ。しかも警官が剣を抜いて人を斬り、軍隊が銃を持って善良な市民に向かい合うに至っては、まさにこれは「第二のロシアの都(=サンクトペテルブルク)」ではないか。戦勝を祝うべき帝都を、第二のロシアの都のような惨状に変えてしまうとは、何という大失態か。
ああ、これは果たして誰の責任であろうか。民衆の心は火のようなもので、一度刺激すればその炎は天を焦がすほどに燃え上がる。政府が大会を禁止し威圧しようとした一挙が、その反動として、ついにこの大規模な騒乱を引き起こすこととなったのだ。なんとも悲しいことである。
この記事は、日本の首都・東京が一夜にして「無政府状態」になったことを強調しています。特に「第二の露都」という表現は、1905年1月のロシアでの「血の日曜日事件」(市民デモに軍が発砲し流血事件となった)を想起させ、日本政府の失政を痛烈に批判しています。
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