1907年05月09日 帝国の海軍力 ― 合計213隻・約50万トン

1907年

(1907年5月9日 東京日日新聞)
 日本海軍の最近の調査による現在の戦力は次の通りである。戦艦は、薩摩・安芸・香取・鹿島などを含めて13隻、総計約18万2千トン。装甲巡洋艦は筑波以下2隻で約3万3千トン。一等巡洋艦は浅間・常磐など8隻で約6万3千トン。
 さらに、二等巡洋艦は津軽・宗谷以下45隻(通報艦や水雷母艦、海防艦などを含む)で約21万トン。そのほか、駆逐艦59隻(約2万1千トン)、水雷艇78隻(約7千トン)、潜水艇8隻(約350トン)がある。以上を合計すると、艦艇総数は213隻、総排水量は約50万トンとなる。
 さらに現在建造中で、本年度中または来年度初めに完成予定の艦として、呉で起工される装甲巡洋艦伊吹(約1万3千トン)および横須賀の同型艦鞍馬、長崎の通報艦最上、呉の利根、川崎造船所の淀などがある。これら約4万トンを加えると、来年度末には日本海軍の総トン数は約55万トンに達する見込みである。旧式艦(浪速・八重山など)の退役を考慮しても、なお約53〜54万トンの戦力を維持できるとされている。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/149

写真・図引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bd/Colorized_Satsuma.jpg

⚫︎ 日露戦争後の「海軍拡張」

このニュースの背景には、日露戦争後の軍備拡張があります。

この戦争で日本は勝利しましたが、

  • 艦隊の損耗
  • 列強との軍事競争
  • 海上覇権の維持

という課題が残りました。

そのため日本は、「勝った後にさらに強くなる」軍拡路線を採用します。

⚫︎ 「トン数=国力」の時代

当時の海軍力は単純に:

  • 艦の数
  • 総トン数

で評価されました。

つまり、50万トン=列強の一角に並ぶ規模を意味します。

特に重要なのは戦艦で、これは

  • 海戦の主力
  • 国家威信の象徴

でした。

⚫︎ 主力艦の国産化

記事に出てくる艦の多くは、日本国内で建造されています:

  • 呉海軍工廠
  • 横須賀海軍工廠
  • 民間造船所(川崎など)

これは「軍事だけでなく、重工業の発展」を意味します。

日本はこの時期に、

  • 鉄鋼
  • 造船
  • 機械工業

を急速に発展させました。

⚫︎ なぜここまで拡張するのか

理由は主に3つです:

① ロシア再興への警戒
② イギリス・アメリカとの競争
③ 東アジアでの覇権維持

特に日本は、日英同盟によりイギリスと連携しつつも、「単独でも戦える海軍」を目指していたのです。

⚫︎ 潜水艇の登場(注目点)

記事に「潜航艇(潜水艦)」が登場している点も重要です。

これは:

  • 新しい戦争技術の導入
  • まだ小規模だが将来性あり

→後の海戦を大きく変える要素

⚫︎ まとめ

  • 日本海軍は1907年時点で213隻・約50万トン規模
  • 建造中の艦を含めると55万トンに到達予定
  • 日露戦争後の軍拡政策の一環
  • 海軍力は国力・国際的地位の象徴
  • 造船・重工業の発展とも密接に連動

日本はこの時期、「列強海軍の一角」へ本格的に到達しつつありました。

コメント