(1906年9月26日 東京朝日新聞)
キューバは、米西戦争によってスペインの支配から脱すると同時に、新たにアメリカ合衆国の被保護国となった国である。その関係は日本と韓国の関係ほど密接ではないものの、キューバはアメリカに対して、
・自国の独立を害するような条約を他国と結ばないこと
・アメリカが干渉する権利を有すること
・アメリカに海軍の根拠地を貸与すること
などを承認している。
このような状況のもと、今回国内は大きく混乱し、首都を除いて全国が反乱勢力の支配下に入るに至った。そこでアメリカは軍艦をハバナ近海に集結させ、事態に応じて直ちに軍事力を行使できるよう準備を進めると同時に、タフト氏自らがハバナに赴き、講和の仲介に当たっている。
もっとも、和平交渉がまとまるかどうかは、まだ明らかではない。幸いにして交渉が成立すれば、キューバの対米関係は特に大きな変化なく維持されるであろう。しかし、もし和平が成立せず、アメリカ自身が全島を平定する責任を負わざるを得なくなった場合には、将来キューバはアメリカに併合されるほかないであろう。
この点については、ヨーロッパの観察もアメリカ国内の見方も全く同じである。そもそも被保護国でありながら自立的に統治・自治を行うことのできない国は、全面的な統治を保護国に委ねるほかないからである。
〔以下略〕
この記事は、1906年に発生したキューバ第二次占領(米国の再介入)を背景としています。
◾️ キューバと米国の関係
キューバは1898年の米西戦争によってスペインの植民地支配から解放されましたが、完全な独立国ではありませんでした。1901年に制定されたプラット修正条項により、
・キューバは外交・軍事面でアメリカの強い制約を受ける
・アメリカは「秩序維持」を理由に軍事介入できる
・グアンタナモ湾を米海軍基地として提供する
といった、事実上の保護国的地位に置かれていました。記事中で列挙されている条件は、このプラット修正条項を指しています。
◾️ 1906年の反乱(自由党反乱)
1906年、キューバ国内で大統領エストラーダ・パルマ政権に反対する自由党勢力の武装反乱が勃発しました。政府は治安維持に失敗し、内戦状態に近い混乱が全国に拡大します。
この事態を受け、アメリカは
・軍艦をハバナ近海に派遣
・当時陸軍長官であったウィリアム・ハワード・タフトを特使として派遣
し、和平調停と介入準備を同時に進めました。
◾️ 記事が示す帝国主義的思考
この記事の後半は、単なる事実報道を超え、帝国主義時代特有の国際観をはっきりと示しています。
・「自立自治できない被保護国は、最終的に併合されるのが当然」
・「秩序維持を名目とした大国の統治介入は不可避」
という論理は、当時の欧米列強に広く共有されていた考え方でした。
◾️ 日本との重ね合わせ
記事中でさりげなく触れられている「日韓両国の関係」は、当時すでに進行していた日本による韓国(大韓帝国)保護国化を念頭に置いた比較です。つまりこの記事は、
・アメリカのキューバ支配を説明しつつ
・同時に日本自身の朝鮮政策を「国際的に一般的な流れ」として正当化する
という役割も果たしていました。
◾️ その後
実際にはこの年、アメリカはキューバを正式併合せず、第二次キューバ占領(1906~1909年)として一時的な軍政を敷いた後、形式上の独立を回復させました。しかし、キューバが実質的にアメリカの強い影響下に置かれ続けた点では、この記事の見通しは当時の現実をよく反映しています。

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