(1906年1月7日 東京朝日新聞)
明治三十八年(1905年)中の日本の輸出入総額は、すでに前回の記事に記した通り、およそ8億円に達した。これは、まさに前例のないほどの巨額であり、我が国の**国力の拡大ぶりは驚くべきもの**がある。過去10年間(明治28年~38年)の輸出入額の概算を示せば次の通りで、これを見ることで、その傾向(趨勢)を十分に知ることができよう。
| 年度 | 輸出額 | 輸入額 |
| 明治28年(1895年) | 1億3,600万円 | 1億2,900万円 |
| 明治29年(1896年) | 1億1,780万円 | 1億1,170万円 |
| 明治30年(1897年) | 1億6,313万円 | 2億1,930万円 |
| 明治31年(1898年) | 1億6,575万円 | 2億7,750万円 |
| 明治32年(1899年) | 2億1,429万円 | 2億2,040万円 |
| 明治33年(1900年) | 2億 443万円 | 2億8,726万円 |
| 明治34年(1901年) | 2億5,349万円 | 2億5,580万円 |
| 明治35年(1902年) | 2億5,830万円 | 2億7,173万円 |
| 明治36年(1903年) | 2億8,150万円 | 2億1,713万円 |
| 明治37年(1904年) | 3億1,926万円 | 3億7,136万円 |
| 明治38年(1905年) | 3億2,159万円 | 4億8,826万円 |
これによって明らかなように、明治38年の貿易はかつてないほどの飛躍を遂げ、輸出入ともに未曽有の規模に達した。
1. 日露戦争後の日本経済の拡大
この記事が書かれた1906年初頭は、日露戦争(1904〜1905年)終結直後の時期です。戦争によって軍需産業・輸送・貿易が活発化し、日本の産業生産と国際取引は大幅に拡大しました。
特に、
- 造船・製鉄・繊維・軍需品などの生産増加
- 朝鮮・満洲方面への進出による新市場の拡大
- 外債による資金流入による国内資本の増加
といった要因が重なり、日本の貿易額は明治38年に史上最高を記録しました。当時の8億円という数字は、日本の国家予算(約5億円)をはるかに上回る規模であり、記事の「前古無比の巨額」との表現も誇張ではありません。
2. 貿易の構造変化
この時期、日本の貿易は次のような特徴を持っていました。
| 項目 | 内容 | 相手先 |
| 主な輸出品 | 生糸、茶、綿織物、銅、陶磁器など | アメリカ・清国・イギリス |
| 主な輸入品 | 機械類、綿花、石炭、鉄材、砂糖など | イギリス・インド・清国・アメリカ |
特に生糸輸出は日本経済の柱であり、明治30年代には輸出総額の約4割を占めるほどでした。
また、戦争を通じて兵器・船舶用の鉄・機械を輸入する必要があり、輸入額が輸出を上回っています。表を見ると、明治38年の輸入額(約4.9億円)は輸出の1.5倍です。
3. 日露戦争と貿易拡大の関係
日露戦争中・直後の貿易拡大は、いくつかの要因によります。
1. 軍需物資の大量輸入
戦争遂行のための鉄材・機械・燃料などを欧米から大量輸入。
2. 軍需関連輸出の増加
武器・物資・繊維製品などの輸出も拡大。
3. 海運業の発展
戦時輸送で船舶需要が激増し、日本の海運力が拡大。
4. 為替相場の安定と信用力の上昇
外債発行成功により、日本の国際的信用が向上。
これらが複合して、1905年の貿易総額8億円という記録的水準が生まれました。
4. 「前古無比」という表現の意味
「前古無比(ぜんこむひ)」とは、「これまでに例のない」「前代未聞の」という意味。新聞社がこの表現を使ったのは、単なる統計上の増加ではなく、日本の国際経済的地位が格段に上がったことを強調するためです。つまり、「戦争で国力が疲弊したのではなく、むしろ世界的に成長した」という国威発揚的な報道の側面があります。
5. 歴史的意義
この時期の貿易拡大は、明治後期の産業資本主義の成熟期の始まりを示します。
| 要素 | 内容 |
| 経済体制 | 軍需主導型 → 産業拡大型へ移行 |
| 国際関係 | 列強の一角としての日本が認知される |
| 社会変化 | 商社・銀行・海運会社などの発展 |
| 長期的影響 | 外債依存・貿易収支赤字の定着 |
この「戦争による短期的繁栄」は、のちに明治40年代の恐慌(戦後不況)へとつながる伏線にもなります。


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