(1906年1月1日付 東京日日新聞)
ふり返ってみれば、過去の一年半のあいだ、わが帝国はまさに古今未曽有の大戦(=日露戦争)に直面し、百万の将兵が海を渡って戦い、戦費の総額は十数億円にのぼった。そのため、国民の負担は一挙に倍増したが、幸いにも帝国の財政状態は著しい混乱に陥ることはなく、世界各国をして日本に対し、密かに畏敬と恐れを抱かせたほどであった。
しかし、静かに考えてみると、決して楽観できる状況ではない。開戦以来の軍事費の急増により、第二次の増税によって1億3,600万円を新たに課すこととなり、さらに戦時公債の発行総額は13億円に達した。歳出の膨張がいよいよ巨大になろうとする中で、講和交渉のもつれによって、賠償金を全く得られなかった結果、戦後の財政はやむを得ず再び公債発行(借金)に頼らざるを得なくなった。
したがって、公債の元利(元金と利息)の償還だけでも、年間7,000万~8,000万円の歳出増を招く見込みであり、戦時中に設けた臨時の特別税を撤廃することは、もはや非常に困難な事態となっている。このあいだ、もちろん国富の増加といった面も見られるものの、一方では恩給や年金の支給、兵器や軍艦の補充など、歳出をさらに増加させる要因も少なくない。したがって、戦後の国家経営が容易でないことは、言うまでもない。(以下、略)
日露戦争の経済的影響
日本は当時、国家予算が年間約2億円ほどしかない国でした。しかし日露戦争には、総額18〜20億円近い戦費を投入しました。これは国家財政規模の約10倍に相当する巨額です。
この戦費をまかなうため、政府は
• 増税(二度の大増税:酒税、煙草税、地租など)
• 外国からの借款(特にイギリス・アメリカの金融市場)
• 戦時公債の発行
によって資金を調達しました。特に戦時公債は13億円を超える規模に達し、戦後もその利払いが重くのしかかりました。
賠償金の欠如と国民の失望
日本国民の多くは、講和によってロシアから多額の賠償金を得られると期待していました。しかし、1905年のポーツマス条約では賠償金は一切得られず、これは国民に大きな衝撃を与えます。
この記事にある「償金の全部を没却し去りし結果」とは、この賠償金ゼロを指します。これにより、政府は戦後も増税や公債発行を続けざるを得ず、財政再建が困難になったのです。
財政への影響
政府は戦時特別税を戦後も継続せざるを得なくなりました。(この記事の「非常特別税の撤廃は終に至難」とはこのことです。)
さらに、戦後は
• 戦死者遺族への年金・恩給
• 兵器・艦船の補充
• 満洲・朝鮮などの植民地行政費
が新たに発生し、歳出は膨らむ一方でした。
新聞社の立場
東京日日新聞(現・毎日新聞)は当時、政府寄りながらも知識人層を意識した報道を行っていました。この記事は「勝戦の陶酔」に警鐘を鳴らし、戦後の現実的な財政難を国民に認識させようとする経済論説記事です。いわば「日露戦争後のバブル崩壊前夜」を予見したような内容です。


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