1905年09日04日 関東州民政長官室、血に染まる― 山縣の愛妾、後妻に迎えたという話は本当か

社会・世相

引用:新聞集成明治編年史 第十二卷 P.481

[1905年09月4日 満州朝日新聞「机の塵」より

△関東州民政庁は修繕工事が終わり、8月24日にそこへ移転した。ところが、その夜、前衆議院議員の櫻井静が石塚民政長官の執務室でピストル自殺をした。そのため、長官がまだ執務室に入る前に、早くもその部屋は血で汚されてしまったのである。

△また、山縣元帥が愛妾を正式に後妻にし、先日、目白の椿山荘で披露宴を開いたと二、三の新聞に報じられていたが、どうも事実ではないらしい。山縣ほどの人物が七十の齢になって、今さら若い妻を迎え、桂や伊藤、井上といった享楽に耽った人々と張り合う必要もなかろう。

△しかし、この愛妾というのは、かつて椿山荘に住まわせていた、あの醜業婦・歌吉と心中した吉田某の娘であり、益田孝氏の妾となった女性の妹であるという。そして、この姉妹はやはり歌吉の斡旋で同じ稼業をしていたらしい。

日露戦争に関する記事が続いたので、ゴシップ記事をご紹介します。

政治家の愛人関係が普通に新聞記事になっており、現在のスポーツ新聞に載っているような内容も一般紙に載っていたことが分かりますが、メディアの種類も新聞ぐらいしかなく、江戸時代の瓦版の流れを組んでいたのかもしれませんんね。

また椿山荘は山縣がつくった庭・邸宅で、明治天皇をはじめとする当時の政財界の重鎮を招き、国政を動かす重要な会議を行なっていたらしい場所で、現在、その敷地内に「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」が建っています。

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