【1905年09月03日 大阪朝日新聞】
遺族
平和になること自体はありがたいですが、賠償金は取れず、樺太も半分しか取れなかったなんて……。戦死した息子もさぞ無念でしょう。私は今、御社の新聞を仏壇に供えて、涙を流しながら読んでいました。
村長
私の村からは陸軍に6人、海軍に2人、合わせて8人が出征し、みな立派に戦死しました。村にはお金が余っているわけでもないのに、「村の名誉のためだ」と言って村葬まで行ったのです。それなのに、国に事情があるとはいえ、今回の講和条件では遺族があまりに気の毒です。
軍人
「講和が成立した」だなんて馬鹿げている。勇敢に戦い続ければ、勝って手に入れるべきものはいくらでもあったはずだ。政府はいったい何をしているのか。海には東郷大将、陸には大山大将がいる。兵士たちは皆、戦いに熱を燃やしているのに、元老や内閣の連中は気力を失ったのか。
職工(工場労働者)
戦争中は「我慢しろ」と言われて、去年の暮れに上がるはずの賃金も上がらなかった。平和になればせめて一杯ぐらい酒が飲めると楽しみにしていたのに、条件が悪い平和では景気も悪いままだろう。この調子では今年も苦しい生活になりそうだ。
農民
今年は二百十日(※厄日)までは無事だったけど、米の出来が悪い。だからとても心配だ。戦争が終われば少しは休めるかと思っていたのに、この有様ではそれも駄目だ。ああ、米は不作だし世間は不景気、困るのは百姓ばかりだ。
商人
まったく困ったもんだ。少しは景気が戻るかと思ったら不作。だからこそ平和に期待していたのに、この結果では商売人にはどうしようもない。注文は減る、代金の支払いは滞る、店は閑散としてやっていけない。
壮士(国粋主義者・志士)
国難に殉じた何千人もの志士たちの墓前で、慟哭しているのは私一人ではあるまい。招魂祭の詞を読み上げれば、墓地の風は鬼の泣き声のように響く。ああ、この英霊をどうすればよいのか。この遺族をどうすればよいのか。天よ嘆け、地よ泣け!
乞食
食べ残しももらえず、お金ももらえない。家の前に立てば「縁起が悪い」と怒鳴られる。子どもは泣き、腹は減る。このごろほど物乞いが少ないことはない。三日間も休まずに物乞いを続けて、十年やってきたが、もう乞食もやめねばならぬほどだ。なんと情けないことか。
裏店(長屋の貧しい住人)
一升十五銭の米を食べて、苦しい世の中を「仕方ない」と我慢してきた。それは何のためだったのか。人を苦しめておいて、自分だけ株で儲けて、後はどうでもいいなんてやり方は許せない。俺は絶対に承知しない。誰が何と言おうと承知しない。
本記事は賠償金がゼロと聞いた一般庶民の声を拾ったものですが、これまでの我慢や犠牲に対して、非常に納得がいっていないことがよく分かる内容となっています。
本筋ではありませんが、当時の新聞では物乞いをしていた人と思われる人物に意見を求めて、「乞食」と書いてしまえる辺りは、現代人の意識とは大分乖離があることがよく分かります。
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