1906年10月07日 韓国棉花会社の創立

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.150

(1906年10月7日 国民新聞)
韓国棉花栽培協会が生産した繰綿(綿花を加工して種子を除いたもの)を買い入れることを目的として、全国連合紡績会社の会員が中心となって設立した韓国棉花株式会社は、資本金二十万円で、来る16日の午後3時から大阪ホテルにおいて創立総会を開く予定である。

この記事は、日露戦争後の日本による韓国経済への浸透と、原料確保政策を背景としています。

◾️ 日本紡績業と綿花問題

明治後期、日本の紡績業は急成長を遂げていましたが、最大の弱点は

  • 原料である綿花のほぼ全量を海外(主にインド・中国)に依存していたこと

でした。

原料価格の変動や国際情勢に左右されやすいため、綿花の安定供給源を確保することが紡績資本の重要課題となっていました。

◾️ 韓国への注目

日露戦争後、日本は韓国に対する影響力を急速に強めており(1905年の第二次日韓協約)、

  • 日本人による土地経営
  • 農業試験・改良
  • 現地資源の本国産業への組み込み

が進められていました。

その中で、気候条件の近い韓国は、

  • 綿花栽培が可能
  • 日本本土に近く輸送コストが低い

という理由から、「準内地的な原料供給地」として期待されました。

◾️ 韓国棉花栽培協会と会社設立

記事にある韓国棉花栽培協会は、日本側の主導で設立された団体で、

  • 韓国農民に綿花栽培を奨励
  • 種子・技術の供与
  • 生産された綿花の集荷・選別

を行っていました。

今回設立される韓国棉花株式会社は、

  • 同協会が生産・集荷した繰綿を一括して買い上げる商業・流通会社
  • 実質的には、日本紡績資本が原料調達を組織的・独占的に行うための装置

と位置づけられます。

◾️ 大阪ホテルでの創立総会の意味

創立総会が大阪ホテルで開かれる点も象徴的です。

大阪は当時、

  • 日本最大の紡績業集積地
  • 全国連合紡績会の本拠

であり、韓国での農業生産が、最初から日本本土の工業資本の論理で組み込まれていたことを示しています。

◾️ 歴史的意義

この記事は、

  • 日本の対韓政策が、政治・軍事 → 経済・資源支配へと拡張していく過程
  • 「開発」「振興」を名目とした経済進出の具体像

を端的に示す史料です。

このような会社設立は、

  • 韓国農業の商業化
  • 日本紡績業の原料自給化努力

という側面を持つ一方で、韓国側にとっては、経済的従属を深める一歩でもありました。

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