1906年10月09日 期米、再び急騰――ついに十五円六十五銭

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.151

(1906年10月9日 中外商業新報)
東京期米市場
(8日)
 休日前の楽観的な見通しもあって、稲作不振を悲観する相場心理はいったん落ち着いたかに見え、これに伴い二、三十銭ほど押し戻されていた期米相場であったが、今朝になると再び様相が一変し、たちまち上昇局面に転じた。
 相場は息つく間もなく三十銭高となり、前日の高値をさらに十銭上回って、十五円六十四、五銭をつけるに至った。
 天候は一見回復し、久しぶりの晴天が続いているものの、冷え込みはかえって一層厳しく、まるで冬のような状態である。そのため晩稲の作柄はすでに絶望的となり、早稲・中稲・晩稲を通じて、平年並みの収穫は到底望めないばかりか、被害がさらにどこまで拡大するのか懸念される状況である。
 こうした事情から、いよいよ二年続きの凶作が唱えられるようになり、それが相場心理の高揚を一段と促したようである。もっとも、やや悲観に過ぎる傾向がないわけではない。しかし現状では、古米の在庫は減る一方で、新米の出回りも依然として鈍く、各地の米価も一斉に高騰している状況から見て、相場心理がさらに刺激されるのも無理はない。
 先行き全体の趨勢はひとまず措くとして、当面はこの水準で推移するであろうが、場合によっては十六円台に乗せる高値が出る可能性もある、という成り行きである。

この記事は、明治後期に繰り返された米価高騰と、天候不順による凶作不安を背景としています。

◾️ 「期米」とは何か

「期米」とは、米の先物取引のことです。東京・大阪などにはすでに近代的な商品取引所が存在し、米は代表的な先物商品でした。

  • 実際の需給(作況・在庫)
  • 天候情報
  • 投機的な思惑

が相場に反映され、現物米価だけでなく、庶民の生活不安や社会不安を増幅する指標ともなっていました。

◾️ 1906年前後の米作不安

1906年(明治39年)は、

  • 夏以降の低温
  • 秋口の冷え込み
  • 日照不足

などが重なり、特に晩稲の作況が深刻に悪化しました。
記事中の「宛然たる冬季の状態」「晩稲の作況は最早絶望」という表現は、当時の農業現場の危機感をよく表しています。

さらに前年も作況が思わしくなかったため、「二年続きの凶作」という言葉が現実味を帯び、相場を強く刺激しました。

◾️ 古米不足と新米の出回り遅れ

当時は政府による米の価格安定政策が未成熟で、

  • 古米(前年以前の米)の在庫はすでに減少
  • 新米は不作予想のため出し渋り

という状況にありました。
これが現物市場・先物市場の双方で、供給逼迫感を強めました。

◾️ 米価高騰と社会不安

米は庶民の主食であり、米価の急騰は

  • 家計の圧迫
  • 労働者賃金との不均衡
  • 都市部での不満の蓄積

を招きます。
この時期の米価高は、後年の米騒動(1918年)ほどではないものの、政府・新聞・商人が非常に神経質に注視していた問題でした。

◾️ 「人気(にんき)」という言葉の意味

記事中の「人気」は、現代でいう

  • 市場心理
  • 投資家・取引参加者の思惑

を意味します。
作況悪化 → 凶作観測 → 人気昂進 → 期米暴騰 という連鎖が、典型的な相場過熱の構図として描かれています。

◾️ 歴史的意義

この記事は、

  • 日本における近代的商品市場の成熟
  • 天候・農業・投機が密接に結びついていた実態
  • 米価が「経済問題」であると同時に「社会問題」であったこと

を示す好史料です。

単なる市況記事でありながら、明治日本の生活不安と市場経済の緊張関係が、非常に生々しく読み取れます。

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