(1906年4月3日・読売新聞)
日本海海戦でロシア艦隊を率いて、我が日本艦隊に降伏した ネボガトフ提督 は、死を覚悟して次の事実を述べたと伝えられている。
「私の降伏は、軍人としての義務と、人間としての義務とを、ともに果たしたものである。これを非難し、私を罰しようという海軍軍人がいるなら、はっきり申し上げたい。」
私の部下である3000名の兵たちは、海軍兵士などではない。彼らの多くは、おととし(1904年)9月に急きょ船に乗せられ、10月からクロンシュタットで海事教育を始めたばかりの者たちであった。船酔いに苦しむような兵を部下として、経験豊富な日本海軍と戦う。勝敗は戦う前から明らかであった。まして、我が艦隊に支給された弾薬は 一つも爆発しなかった。たとえ日本艦に命中したとしても、ただ穴を開けるだけで、爆発しなかった。食糧は腐敗し、兵員の三分の二が病気だった。
このような兵器と兵力で強敵に立ち向かうのは、ほんのわずかな幸運にすがっただけである。勅命には逆らえぬゆえ、敵の包囲の中に入った。これが軍人としての義務である。しかし、海を見たこともない3000人の兵士を死なせることは、数隻の艦を失うよりも重大である。私は、この 罪なき人間たちを見殺しにすることができなかったので降伏した。これが人間としての義務である。
この二つの義務のため、私はどのような刑罰を受けようとも恥じるところはない。もし私が処罰されるなら、3000名の人間は私の墓の前で私を悼んでくれるだろう。私が恥辱に耐えて帰国する理由は、ロシア海軍制度の将来に良い教訓を残すためだけである――。
■ 日本海海戦で降伏した唯一のロシア指揮官
ネボガトフ提督(Nikolai Nebogatov)は 1905年の日本海海戦(対馬海戦) において、ロジェストヴェンスキー提督の主力艦隊が壊滅した後、老朽艦ばかりの第3太平洋艦隊を率いて残存ロシア艦隊をまとめていた人物。
最後は日本艦隊に包囲され、
・弾薬は不発
・食糧は腐敗
・兵の多くは素人同然
・病人多数
という悲惨な状況に置かれ、彼は 人命を救うため降伏を決断 しました。
■ ロシアでは軍法会議にかけられ、死刑判決を受けた
帰国後、ネボガトフは 軍法会議で死刑判決 を受けます。(後に減刑されて収監)
ロシア軍では「降伏は恥であり、軍人の義務に反する」という考えが強かったのです。
■ その中で発表された“自己弁護声明”
この記事が紹介しているのは、ネボガトフ本人が自らの名誉を守るために語った 自己弁護声明(アピール)。
その主張のポイントは以下。
・ 軍人としての義務─ 勅命に従い戦場へ行き、敵と遭遇した。
・ 人間としての義務─ 無謀な戦闘を避け、3000人の命を守った。
この二つを両立させ、誇りを持って降伏したのだ、という強い訴えである。
■ 日本ではネボガトフは同情的に報じられた
この記事の論調からもわかるように、日本の新聞はネボガトフに好意的・同情的でした。
理由は:
・降伏の判断が合理的で勇気がある
・部下の命を優先した人道的行為
・ロシア軍の無能な上層部を批判する象徴として扱いやすかった
など。
日本海軍が圧勝したため、ネボガトフの降伏は「戦争の悲劇」として比較的冷静に受け止められました。
■ ロシア帝国海軍の腐敗・老朽化の象徴
ネボガトフの発言にあるように、
・不発弾
・腐った食糧
・素人兵の徴用
といった点は、当時のロシア帝国海軍の深刻な腐敗・混乱を象徴するものでした。
この記事は“敵国の評価”を通じて、日本海軍の近代化の成功を際立たせる背景も持っています。


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