1906年01月21日 打ち続けて晴天十日 大相撲本場所の異例

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.32

(1月21日付・報知新聞)
 今年の一月場所(本場所)は、天気の具合が非常に良く、ここまで連日好天に恵まれたことはきわめて珍しいことである。一昨夜に少し雨が降ったものの、夜のうちに止み、昨日はまるで「拾いもの」のような快晴となった。八日目まで無事に興行を続けることができたので、残り二日もおそらく雨に妨げられることなく終えられるだろう。
 古くから相撲に詳しい人々に尋ねてみると、昔のことはともかく、明治になってからでは明治11年(1878年)の一月場所で、十日のうち一日だけ雨が降った例があるのみだという。その一日雨があったことさえ「珍しい」と言われていたのだから、十日間すべて休みなしで興行を打ち通すというのは、ほとんど初めてのことだろう。そのため、興行主(勧進元=かんじんもと)にとっても、近年まれに見る幸運な場所であり、「今年は利益も上々」と語っている。

記事の時代と場所

 当時の大相撲は、東京の両国回向院(りょうごく・えこういん)境内で行われていました。この場所は屋外の仮設土俵であり、天気が悪ければ土俵は泥だらけ、観客席もぬかるみに。雨が降ればその日の興行は中止(休み)になり、興行主にも力士にも大打撃でした。

「十日間晴天」は極めて異例

 当時の「本場所」は、10日間興行が通例(現在の15日制ではなく)でした。しかし、冬の東京は寒く、雨や雪の日も多かったため、10日間連続で全日開催できることは非常に珍しかったのです。
 記事によると、
  • 明治11年(1878)の一月場所に「1日だけ雨」があったのが過去の例外。
  • それ以外の年は、たいてい1〜2日、あるいは半日ずつ中止になることが多かった。
 つまり「10日間全部晴れて、1日も休まずに開催できた」のは、明治時代初の快挙だったわけです。

「勧進元」とは?

 「勧進元(かんじんもと)」とは、現在の相撲協会にあたる興行主・主催者のことです。もともと大相撲は「寺社への勧進(寄付)」を名目に開催されたもので、その代表者が興行を取り仕切っていました。
 天気が悪ければ客入りが減り、損失が出る。逆に晴天が続けば観客が増え、利益も上がる。そのため記事の最後にある「勧進元の利益も近年第一の幸福なり」という一文は、「主催者にとって近年まれに見る幸運な大成功である」という意味です。

当時の相撲と天候の関係

 現在の国技館(屋内常設)は、初代が明治42年(1909年)に建設されます。したがってこの記事の時点ではまだ屋内施設はなく、すべて野天(屋外)興行でした。雨が降れば土俵が崩れ、行司や観客もずぶぬれ。日照りが続けば砂埃が舞い、力士の体にも悪影響が出ました。新聞社が天候と相撲を並べて報じるのは、それだけ「天気」が相撲興行にとって重大な要素だったからです。

記事の文体とユーモア

 文中の表現「拾ひものの好天氣」「八日目も無事に打ちたれば」「勸進元の利益も幸福なり」などは、当時の新聞特有の軽妙で口語的な調子です。「まづ初めての事なるべし」という結びも、記者が相撲界の“古老”たちの話を聞いてまとめた現場感あるスポーツ記事の文体となっています。

コメント