(1908(明治41)年2月23日、東京日日新聞)
現在のわが国では、従来使われてきた文語が次第に廃れ、口語がそれに代わろうとする傾向にある。実際、小学校の読本などでは、新しい小学校令による前期、すなわち尋常小学校3年生までの教材は、すべて口語によって編成されている。
ところが、それにもかかわらず、口語の文法についての研究はなおざりにされており、わずかに二、三の民間人による小著があるだけである。そのため、この非常に難しい研究は、むしろ外国人の手によって進められているかのような状況となっている。そこで文部省の国語調査委員会では、このほど地方の方言その他について広く資料を収集し、完全な口語文典を編纂することを目的として、この調査に着手したという。
◾️文語から口語へ移りつつあった明治末期
この記事が書かれた明治末期は、日本の文章が従来の文語体から、実際の話し言葉に近い口語文へ大きく移行していた時代です。文学では明治20年代から言文一致運動が進み、学校教育でも口語文の採用が広がりました。
1904(明治37)年から使われた第1期国定『尋常小学読本』でも口語文が多く採用され、学校教育を通じて共通の「国語」を普及させる動きが進んでいました。文化庁の国語政策資料にも、1904年の国定小学校読本について「口語文が多くなる」と記録されています。
◾️「話し言葉の文法」を全国規模で調べる
記事にいう「文部省国語調査会」は、正確には国語調査委員会です。1902(明治35)年に文部省に設置され、日本語の標準化に向けて音韻・口語・方言などを全国的に調査しました。
1903年には口語法38項目について各府県へ調査を依頼し、全国から集めた回答を整理して、1906(明治39)年に『口語法調査報告書』と『口語法分布図』を刊行しています。これは日本で初めて行われた本格的な全国規模の口語・方言調査でした。
◾️この記事は「調査開始」より一段先の話
ここは記事を読むうえで重要です。1908年の記事は「地方の方言その他」の資料収集に着手したと伝えていますが、実際には全国的な口語調査はすでに実施され、1906年には『口語法調査報告書』が刊行されていました。
したがって、この記事が伝える「完全なるものを編成」するための調査は、口語そのものを初めて調査するというより、それまでの全国調査の成果を踏まえ、標準的な口語文法=「口語文典」を体系化しようとする次の段階と考えるのが適切です。
◾️外国人の日本語研究が先行していた
記事が「至難の研究は却って外国人の手に依って行はれつつある」と述べている点も興味深いところです。
明治期には、W・G・アストンやB・H・チェンバレンなど外国人研究者が、日本語の話し言葉を文法的に整理した研究書をすでに著していました。一方、日本人による口語文法研究も存在し、1901(明治34)年には『国語科教授用口語文典』も出版されています。したがって記事の表現には、日本自身が「国語」として口語文法を体系化する必要があるという問題意識が強く表れていると見ることができます。
◾️ まとめ
この記事は、明治末期の日本で進んでいた「文語から口語へ」という大きな言語変化を伝える記事です。
小学校ではすでに口語文による教育が始まっているのに、その口語を支える文法体系が十分に整備されていない――記事はこの状況を問題視しています。
特に興味深いのは、口語文典を机上で作るのではなく、全国各地の方言や実際の話し言葉を調査し、その資料をもとに日本語の文法を体系化しようとしていたことです。
これは単なる文法書編纂の話ではありません。各地で異なっていた話し言葉を調査し、学校教育で使用できる共通の「国語」を整備していくという、近代日本における標準語形成の過程を示す記事として読むことができます。


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