1908年01月29日 ニューヨーク恐慌、再発の兆し

1908年

(1908年1月29日、時事新報・ニューヨーク1月26日電報)
 米国の金融界でも、特に経営が堅固で、最も有力な銀行の一つと考えられていた北米国立銀行(National Bank of North America)が、今回ニューヨークで支払いを停止した。このため、再び重大な金融恐慌が起こるのではないかとの懸念が広がっている。
 同銀行は、先の恐慌(1907年秋の金融恐慌)の際に、ニューヨーク手形交換所(Clearing House)から借り入れた資金について、その債務を返済することができず、休業するに至ったものである。
 この事態を受けて、ウォール街では現在、大騒ぎとなっている。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/210

写真・図引用:https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_recessions_in_the_United_States?utm_source=chatgpt.com

この記事の背景には、前年の1907年恐慌があります。

1907年10月、投機の失敗をきっかけにニューヨークの銀行・信託会社で取り付け騒ぎが発生し、信用市場が急激に収縮しました。中央銀行を持たなかった当時の米国では、ニューヨーク手形交換所が加盟銀行に対して「クリアリングハウス証券」を発行するなど、民間金融機関が危機対応を担いました。

北米国立銀行も1907年恐慌の際に手形交換所から支援を受けた銀行の一つでした。しかし恐慌がいったん収束した後、手形交換所証券の整理・返済が進められると、資金繰りの弱い銀行に再び圧力がかかりました。1908年1月25日、手形交換所が融通資金の整理を進める方針を示した直後、北米国立銀行への取り付けが強まり、1月26~27日に支払い停止・清算へ進みました。

したがって、この記事の「恐慌再発の兆」とは、1907年恐慌そのものがそのまま再燃したというより、恐慌後も銀行の体力が十分に回復しておらず、銀行破綻が連鎖する可能性をニューヨーク金融界が警戒していたという意味です。

なお、北米国立銀行は最終的には破産して債権者に大きな損失を与えたわけではなく、1908年10月31日に管財人制度が終了し、債権者には全額が支払われました。

⚫︎ まとめ

この記事は、1907年恐慌から約3か月後のニューヨーク金融界が、再び不安定化する可能性を報じたものです。

特に重要なのは、前年の恐慌を乗り切った北米国立銀行でさえ、手形交換所からの借入金を整理できず支払い停止に追い込まれた点です。

つまり1908年1月のニューヨークでは、表面的には恐慌が収束していても、銀行が抱えた負債と信用不安がなお残っていたことが分かります。この経験は、後の米国で「民間の手形交換所だけに危機対応を任せるのではなく、中央銀行が必要ではないか」という議論が強まる背景の一つにもなりました。1913年の連邦準備制度(Federal Reserve System)創設へ向かう過程を理解するうえでも重要な出来事です。

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