(1907年11月8日・東京朝日新聞)
ハワイのセントルイス野球団は、慶應義塾との第1回戦ではあっさり敗れてしまった。しかし、その技術は決して侮れないものだった。そのため、早稲田との試合こそ面白い試合になるだろうと、東京中の野球ファンは試合の日を今か今かと待ち望んでいた。この人気の高い対戦の第1回戦が、昨日午後2時から、雨の中を押して慶應大学のグラウンドで行われた。
当日は、両チームとも大幅にメンバーを入れ替えて試合に臨んだ。審判は、ハワイ側のグリースンと東京帝国大学の三島の2人による共同審判だった。グリースンは「審判の模範を示してみせる」と、かなり意気込んでいた。
両チームの守備位置は次の通り。
<セントルイス> <早稲田>
エスーイ・中堅 山脇・捕手
フナンデス・左翼 河野・投手
ブシュネル・二塁 伊勢田・右翼
エース・遊撃 押川・二塁
ロオン・三塁 飛田・中堅
レスリー・投手 獅子内・三塁
ジョンス・右翼 森本・一塁
ズインス・一塁 西尾・左翼
ソーアス・捕手 田部・遊撃
(以下略)
⚫︎ 1907年には野球がすでに大人気
この記事から分かるのは、明治末期の東京で野球がかなりの人気スポーツになっていたことです。
記事は観客を「萬都の好球家(東京中の野球ファン)」と表現しています。
当時、大学野球では特に、慶應義塾 vs 早稲田の対戦が大きな人気を集めていました。
現在の「早慶戦」の原型です。
⚫︎ ハワイから野球チームが来日
今回の「布哇(ハワイ)聖路易野球団」は、ハワイのセントルイス・カレッジ(St. Louis College)関係のチームです。
1907年当時のハワイはすでにアメリカ領でした。
当時のハワイには日系移民も多数暮らしており、日本とハワイの間には人・文化・スポーツの交流が形成されていました。
そのため、野球を通じた交流も単なるスポーツイベント以上の意味を持っていました。
⚫︎ 慶應には敗れたが、技術は高く評価された
記事では、「脆くも敗を取りたる」と、ハワイ側が慶應にあっさり負けたことを強調しています。
しかし同時に、「其技術は中中侮り難きものあり」とも評価しています。
つまり、「慶應には負けた。しかし、ハワイのチームもかなり強い」という評価です。
そのため、早稲田戦が非常に注目されたわけです。
⚫︎ 「打球雲隠れ」という見出し
「打球雲隠れ」は、文字通りには、打ったボールが雲に隠れるほど高く飛ぶという意味です。
もちろん実際に雲の中へ入ったという意味ではなく、非常に高く遠くまで飛ぶ打球を誇張して表現した新聞らしい見出しです。
明治時代の新聞では、スポーツ記事にもこうした文学的・大げさな表現がよく使われました。
⚫︎ 「時雨を冒して」=雨の中で試合
この日は雨模様でした。
それでも、「好試合の第一回は、昨日午後二時より時雨を冒して」とあるように、試合は予定通り開催されました。
野球人気の高さを示すエピソードでもあります。
⚫︎ まとめ
この記事のポイントは次の4つです。
- 1907年には東京で野球が大衆的な人気を獲得していた。
- 慶應・早稲田の対戦は、すでに大きな注目を集める人気カードだった。
- ハワイから野球チームが来日し、日本の大学チームと国際的な交流試合を行った。
- ハワイ側は慶應に敗れたものの、その野球技術は高く評価され、早稲田戦への期待が高まった。
特に興味深いのは、野球が日本国内だけでなく、ハワイを経由してアメリカともつながるスポーツになっていたことです。
明治末期の野球は、単なる学生スポーツではなく、日本・ハワイ・アメリカを結ぶ近代的な国際交流の一部にもなっていました。

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