1907年05月31日 丸の内に建設される中央停車場 ― 建坪2700坪・費用215万円

1907年

(1907年5月31日 東京朝日新聞)
 鉄道庁の高架鉄道事務所長である岡田竹五郎は、昨年6月に欧米視察へ出発し、このたび帰国した。中央停車場(新駅)の設計は当初、辰野金吾博士によって作られ、昨年10月から着工予定であった。
 しかし、規模拡大の必要が認められたため、岡田の帰国を待って、欧米の最先端の様式を参考に再設計することとなった。帰国後、岡田の意見を加え、再び辰野博士に設計を依頼し、このほど設計が完成して当局へ提出された。
 新しい計画では、当初の建設費65万円・建坪1700坪(2階建て主体)から大幅に拡張され、追加予算150万円を加えて総額215万円、建坪2700坪の規模となる。建物は二重橋に向かって「へ」の字型の鉄骨レンガ造3階建て(付属の平屋部分約500坪を含む)となる。正面中央には皇室専用の出入口を設け、その右側に一般乗車口、左側に郵便・電信局を配置し、さらにその左に一般降車口を設ける。また、乗車口から入って右側に東海道方面の切符売場、左側に上野方面の切符売場を設け、改札口やホームも東西で分けられる。2階には各種料理店、浴場、球技場、理髪店、大食堂などを設置し、3階にはホテルを営業する計画である。あらゆる設備において、文明的な停車場の模範となるものになるという。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/156

写真・図引用:https://smtrc.jp/town-archives/city/marunouchi/p04.html

⚫︎ 東京駅誕生前夜

この記事は、現在の東京駅の建設計画そのものを報じたものです。

→つまり「東京駅の設計変更・拡張計画」

⚫︎ 設計者・辰野金吾

設計を担当した辰野金吾は、

  • 日本近代建築の代表的人物
  • 赤レンガ建築の第一人者

です。

彼の設計は、欧米風の近代建築を日本に導入する象徴的存在でした。

⚫︎ 欧米モデルの導入

記事にあるように:

  • 欧米視察
  • 最先端の駅を模倣

これは明治日本の基本戦略「西洋文明の導入」そのものです。

⚫︎ なぜ大規模化したのか

規模拡張の背景には:

  • 鉄道輸送の急増
  • 東京の都市化
  • 帝国の首都機能強化

があります。

単なる駅ではなく「国家の玄関」として構想されました。

⚫︎ 皇室専用出入口の意味

中央に設けられた皇室専用出入口は、

  • 国家の象徴としての駅
  • 皇室と都市の結節点

を示します。(駅=政治的空間)

⚫︎ 「複合施設」としての駅

注目すべきは:

  • レストラン
  • 浴場
  • 理髪店
  • ホテル

単なる交通施設ではない、現代でいう「大型ターミナル+商業施設」の原型です。

⚫︎ 鉄道と国家

当時の鉄道は:

  • 軍事輸送
  • 経済流通
  • 国家統合

の中核でした。(中央停車場=国家インフラの中枢)

⚫︎ まとめ

  • 丸の内に大規模な中央停車場(後の東京駅)を計画
  • 辰野金吾が設計
  • 欧米式を取り入れ大幅に規模拡張
  • 皇室専用口など国家的機能を備える
  • 商業・宿泊機能も併設した複合施設

これは「近代日本の首都インフラ整備」を象徴するプロジェクトといえます。

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