1906年08月11日 南満洲鉄道会社創立命令書

1906年

引用:新聞集成明治編年史 第十三卷 P.128

(1906年8月11日 東京朝日新聞)
 昨日十日、華族会館で開催された満鉄会社設立委員総会において、同委員に対して下付された命令書は、次のとおりである。
 命令書
      南満洲鉄道株式会社
        設立委員長 寺内正毅
        ほか委員八十名

南満洲鉄道株式会社の設立に関する一切の事務を管理させるにあたり、次の各条を命令する。
(以下略)

◾️ 南満洲鉄道(満鉄)とは何か

 南満洲鉄道株式会社(通称「満鉄」)は、1906年(明治39年)に設立された半官半民の国策会社です。
 日露戦争(1904〜1905年)の結果、日本はロシアから、
  ・遼東半島南部の租借権
  ・長春〜旅順間の鉄道(旧東清鉄道南満洲支線)
  ・沿線付属地の諸権益
を引き継ぎました。これらを一体的に経営・管理するために設立されたのが満鉄です。

◾️ 「創立命令書」という形式の意味

 この記事の最大の特徴は、株式会社の設立が「命令書」によって行われている点です。
 通常の民間会社とは異なり、満鉄は、
  ・政府が設立を主導
  ・設立委員・委員長も政府が指名
  ・業務内容も国策に直結
という性格を持っていました。

 そのため、会社設立が「自主的な発起」ではなく、国家の命令として遂行されていることが、この「命令書」という表現から明確に読み取れます。

◾️ 寺内正毅が委員長である意味

 設立委員長の寺内正毅は、
  ・当時の陸軍大将
  ・日露戦争後の朝鮮・満洲政策の中心人物
  ・のちの内閣総理大臣(1916年就任)
です。

 軍人である寺内が委員長に就いていることは、満鉄が単なる鉄道会社ではなく、
  ・軍事輸送
  ・満洲経営
  ・対ロシア・対中国戦略
と密接に結びついた戦略的組織であったことを示しています。

◾️ 満鉄の役割は「鉄道」にとどまらない

 満鉄は後に、
  ・鉄道経営
  ・港湾・炭鉱経営
  ・都市建設(大連・奉天など)
  ・調査研究(満鉄調査部)
まで手がけ、事実上の「満洲経営会社」となっていきます。

この記事は、その巨大組織の誕生直前の公式手続きを伝える、きわめて重要な一次史料です。

◾️ 明治国家と「国策会社」

 この命令書は、明治後期日本の特徴である、
  ・民間の形式をとりつつ
  ・実態は国家が直接統制する
という「国策会社モデル」の典型例を示しています。

 満鉄はその後、東洋拓殖会社と並び、日本の対外膨張政策を支える中核的存在となりました。

◾️ 総括

 この記事は、
  ・日露戦争後の戦後処理
  ・満洲権益の制度化
  ・国家主導による企業設立
  ・軍と経済の結合
を端的に示すものであり、満鉄という巨大植民地経営機構の出発点を伝える記事として、非常に重要な意味を持っています。

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