1907年05月17日 天理教、独立を断念

1907年

(1907年5月17日 東京朝日新聞)
 天理教は、以前、神道本局から離れて独立しようとし、たびたび政府に認可を出願していた。その過程では、あまり好ましくない運動も行われていたと伝えられている。
 これに対し、宗務局はこれらの申請について厳重に審査を続けていたが、同教団側でも考えを改めたのか、ついに申請の取り下げを申し出た。そして規則を改め、従来どおり神道本局に属することを決定した。

記事引用:https://dl.ndl.go.jp/pid/1920436/1/152

写真・図引用:https://shinden.boo.jp/wiki/ファイル:天理教教会本部・北礼拝場と神殿・側面・1914年(大正3年)天理教地場案内.jpg

⚫︎ 天理教とは何か

天理教は、19世紀に中山みきによって創始された宗教で、庶民層を中心に急速に広まりました。

  • 病気治癒
  • 救済思想
  • 平等志向

などを特徴とし、明治期には大きな信者集団を形成します。

⚫︎ なぜ独立を目指したのか

明治政府は宗教を厳しく管理するため、神道を国家の枠組みの中に組み込み、その中に多くの教団を「所属」させました。

天理教も当初は、神道本局の下に置かれる形でしたが、教義や組織の独自性を保つため、独立宗教としての認可を求めたのです。

⚫︎ なぜ断念したのか

独立が認められなかった理由は:

  • 国家による宗教統制
  • 教義が「神道」と異なる部分
  • 急成長する新宗教への警戒

などです。

また記事が示すように、政府側の厳格な審査(=事実上の拒否)により、天理教側が現実的判断として撤回したと考えられます。

⚫︎ 国家神道体制の中の宗教

この時代の宗教政策の特徴は:

  • 神道=国家的・公的
  • 宗教=管理対象

という構造です。

宗教の自由は限定的であり、特に新宗教は厳しく監視されました。

⚫︎ まとめ

  • 天理教は神道本局からの独立を目指した
  • しかし政府の厳しい審査により断念
  • 再び神道本局の下にとどまることを決定
  • 背景には国家による宗教統制
  • 新宗教と国家権力の緊張関係を示す事例

これは「近代国家が宗教を管理する仕組み」の典型例といえます。

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