(1907〈明治40〉年8月14日『都新聞』)
帝国冷蔵株式会社が魚河岸(魚市場)に設けた冷蔵庫は、近ごろ食品業者の間で大きな注目を集めている。魚市場の関係者だけでなく、商機に敏感な果物商、牛乳商、西洋食料品商なども、果物や保存用の牛乳、バターなどを次々と持ち込み、保管を依頼している。そのため、冷蔵庫の中は鮮魚をはじめ、バナナ、桃、牛乳、バターなどでいっぱいになっており、さまざまな食品が並ぶ様子は、これまでにない珍しい光景となっている。この暑い時期でも、庫内は華氏32度(約0℃)という低温を十分に保っているという。
このまま冷蔵技術がさらに発達すれば、食品不足や不漁による品不足といった問題も、やがてほとんど見られなくなるだろう。
写真・図引用:https://www.chuo-kanko.or.jp/pages/other_details/119497
⚫︎ 冷蔵技術が普及し始めた明治後期
この記事は、日本で近代的な冷蔵・冷凍技術が普及し始めた様子を伝えています。
明治時代前半まで、日本では食品保存の方法は
- 氷
- 塩漬け
- 干物
- 発酵
などが中心でした。
しかし19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧米から機械式冷凍機が導入され、都市部では人工的に低温を保つ冷蔵庫や冷蔵倉庫が整備され始めました。
⚫︎ 魚河岸と冷蔵庫
記事にある「魚河岸」は、当時の東京最大の魚市場を指します。
1907年当時は、現在の築地市場ではなく、日本橋魚河岸が全国有数の水産物流通の中心でした。
冷蔵庫ができたことにより、
- 鮮魚
- 果物
- 牛乳
- バター
など傷みやすい食品を長期間保存できるようになりました。
これは日本の食品流通にとって大きな革新でした。
⚫︎ バナナが登場していることの意味
記事では、
- バナナ
- 桃
- 牛乳
- バター
が並んでいる様子を珍しいと伝えています。
特にバナナは当時まだ高級輸入果物でした。
台湾が日本領となった1895年以降、日本へのバナナ輸入は徐々に増加しましたが、1907年頃にはまだ一般家庭では珍しい食品でした。
冷蔵設備の発達は、こうした輸入青果物の流通拡大にも役立ちました。
⚫︎ 牛乳・バターの普及
明治時代には、西洋文化の普及とともに
- 牛乳
- バター
- チーズ
- 牛肉
などの消費が徐々に広がりました。
しかし牛乳やバターは傷みやすく、冷蔵設備がなければ大量流通は困難でした。
この記事は、冷蔵技術が西洋食品の普及を支えていたことも示しています。
⚫︎ 「食品不足はなくなる」という期待
記事の最後では、「食品の欠乏や不漁はなくなるだろう」と期待しています。
もちろん実際には、
- 漁獲量の減少
- 天候不順
- 戦争
- 輸送事情
などによって食品不足はその後も発生しました。
しかし当時としては、冷蔵技術は画期的な新技術であり、「保存さえできれば食料問題は大きく改善する」という期待が広く持たれていました。
このような技術への楽観的な見方は、明治後期の新聞によく見られる特徴です。
⚫︎ まとめ
この記事は、帝国冷蔵株式会社が魚河岸に設置した冷蔵庫が、多くの食品業者から利用されるようになったことを紹介しています。
冷蔵庫には、
- 鮮魚
- バナナ
- 桃
- 牛乳
- バター
などが保管され、暑い夏でも約0℃の低温が維持されていました。
これは、日本における近代的な食品保存・流通システムの始まりを象徴する出来事です。
当時の新聞は、この技術によって食品不足や不漁の影響が大きく軽減されるとの期待を示しており、冷蔵技術が近代生活にもたらしたインパクトの大きさがうかがえます。


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