(1907〈明治40〉年8月1日『報知新聞』)
明治火災保険会社と東京海上火災保険会社は共同で、「東明火災海上保険会社」という新会社を設立することを計画しました。すでに設立認可を受け、このほど創立総会を開き、現在は営業免許を申請しています。認可が下り次第、営業を開始する予定です。
両社はこれまでも再保険業務を取り扱ってきましたが、新会社の設立後は、それぞれが引き受けた保険契約の一部を新会社へ移し、まずは両社の契約を中心に再保険を引き受け、その後は他の保険会社の契約にも事業を広げる計画です。このように再保険だけを専門に行う会社は欧米では珍しくありませんが、日本ではこの会社が最初の例となります。
資本金は200万円で、その4分の1にあたる50万円をもって事業を開始する予定です。株式の半分は明治火災と東京海上火災の両社が1年間引き受け、残り半分は両社と関係のある個人が引き受けることになっています。本店は東京海上火災保険会社の社屋内に置かれ、事務は東京海上が担当します。その手数料として、新会社は受け取る再保険料の5%を東京海上へ支払います。また、役員は明治火災と東京海上火災の現役役員が兼任することとなっています。
⚫︎ 再保険とは何か
この記事で紹介されている再保険(Reinsurance)とは、保険会社が引き受けたリスクの一部を、さらに別の保険会社へ引き受けてもらう仕組みです。
例えば、ある保険会社が大規模な工場や船舶に高額な保険をかけた場合、火災や沈没が起きると保険金の支払いが会社の経営を揺るがしかねません。そこで、そのリスクの一部を別の会社へ移すことで、損失を分散させます。
今日では世界中の保険業界で一般的な制度ですが、1907年当時の日本ではまだ新しい考え方でした。
⚫︎ 日本初の再保険専業会社
記事では、「再保険専営の保険会社は外国には少なくないが、日本ではこの会社が嚆矢(こうし=最初)」と述べています。
つまり、日本では従来、各保険会社が個別に再保険を行っていましたが、再保険だけを専門に扱う会社を設立するのは初めての試みでした。
これは、日本の保険業界が欧米型の経営手法を取り入れ始めたことを示しています。
⚫︎ 保険市場の拡大
明治後期には、
- 工場
- 鉄道
- 船舶
- 商店
- 倉庫
などへの保険需要が急速に増加していました。
特に日露戦争(1904~1905年)後は、日本企業の事業規模が拡大し、高額な保険契約が増えたため、リスク分散のための再保険制度の整備が急務となっていました。
⚫︎ 東京海上と明治火災
この記事に登場する二社は、当時の日本を代表する保険会社でした。
- 東京海上火災保険は1879年創業で、日本初の海上保険会社として発展しました。
- 明治火災保険も近代日本の火災保険市場を支えた有力企業の一つでした。
両社が共同出資することで、新会社は当初から安定した事業基盤を持つことが期待されました。
⚫︎ まとめ
この記事のポイントは次のとおりです。
- 明治火災保険と東京海上火災保険が共同で「東明火災海上保険会社」を設立した。
- 新会社は日本初の再保険専業会社として計画された。
- 当初は両社の契約を対象とし、その後、他社の契約にも事業を拡大する予定だった。
- 再保険制度は保険会社の経営を安定させるための重要な仕組みであり、日本の保険業近代化を象徴する出来事だった。
- この設立計画は、日本経済の成長と金融・保険制度の成熟を示す一例といえる。

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